壊れるといえば…。
PCが壊れただけでなく、昨日は電気炊飯器が壊れて、ちょっと前には、ビデオレコーダーが調子がおかしくなった。
これだけ一度にあると、何かあるのかな…。
例えばの話だけど、家内の病気を機械が肩代わりしてくれたとか。
肩代わりといえば、よく聞くのは、指輪の石が割れてしまって、持ち主の「身代わりになった」とかいう話。
そういうことは、たしかにあるように思う。
神仏に守られている人が危機に瀕したときに、物が代わりに壊れてくれるというようなことが。
宜保愛子さんも、そんなことを書いていたかな…。
よく覚えていない。
カルマの肩代わり?
物の肩代わりとはちょっと違うけれど…。
自分の過去生のことは、事情があって公の場で書かないようにしているが、ちょっとだけ。
私は過去生のカルマによって、30代ぐらいで若死にする可能性があった。
だが、実際は今でもこうして何の問題もなく生きている。
思い当たる節があるとすれば…。
30代後半に、2回入院したことがある。
しかも、どちらも取るに足らない理由によって。
一度目は、食中毒によるもの。
九州で行われた義理の妹の結婚披露宴に参加して、蕎麦についていたウズラの卵にあたったのだ。
しかも、先妻と娘は大丈夫だったのに、私だけが。
そのときはトンデモな病院に入院してしまって、もうとっくに完治したのになかなか退院させてもらえなくて、二重の悲劇だった。
二度目は、マイコプラズマ肺炎によるもの。
入院したのが、たしか正月三が日のときだった。
このときも、先妻は感染したのに入院するほどでなく軽く済んだのに、私は数週間入院するハメになった。
このことは、考え方によっては、死ぬべきカルマがあるところを、信仰によって助けてもらって、二度の軽い病気による入院で振り替えてもらったということなのだろうか。
あくまでも、ひとつの説明の可能性としてだが、そういう風に考えている。
私の先生いわく、信仰によって、たとえば本来10起きるべきことを、1にしてもらうことは可能だという。
だが、1を0にすることはできないのだろう。
必ず起きることは起きる。
それが軽く済むか、重く済むかは、その人の「行い」とか「祈り」とかにかかってくるものかもしれない。
じつは長生きする?
こういう事情があるから、たとえ40歳の壁は突破できても、いつまで生きられるかわからないというところがあった。
だが、カミンチューたちに言わせると、私は長生きするから心配ないと太鼓判を押されている。
さて、どうなるか…。