探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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ヴェジタリアン(2)


※「ヴェジタリアン(1)」はこちらにあります。↓


☆いま常駐して働いている品川の職場のすぐ近くに、食肉市場がある。
そこの前を通ると、「動物園の匂い」がするときがある。
また、何頭ものウシを載せたトラックが入っていくのを見たことがある。
「ああ、このウシさんたちは殺されて食肉になってしまうんだな…。殺される光景を想像すると、牛肉なんて絶対食べたくなくなるな」などと思いながら眺めていた。


☆今日、MIXIを徘徊していて、『ブレサリアン』という言葉を初めて知った。
ブレサリアン(Breatharian)とは、食べずに生きていけることを目指す人々だという。
つまりプラーナを摂取することによって生命を維持していこうということ。
これは絵空事ではなく、現実にヨガの行者やキリスト教の聖人や霊能者などに、ごくわずかながら、そういう人々がいることはたしかだ。
喉のところのヴィシュダチャクラが高次元で覚醒した人々の中には、まったく物を食べずに生きていけるようになる人がいるのだ。
そういう風になれたらいいなと、私も思う。


☆人間が生きていく上でもっとも根源的な欲求である食欲と性欲は、抑制することがむずかしい。
ご承知のとおり、性欲というものは、食べるものに注意することによって(必要であれば)、ある程度抑制することは可能だ。
たとえばガンジーもそう言っている。(「食物」でページを検索してみて)↓
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TG/SBRJ/J/Meigen.html


だが、たとえば数日間何も食べずに生活するという断食は、もっと困難を伴う行為だろう。
そういう意味では、たとえばインドネシアのような熱帯の過酷な環境で断食を行うムスリムの人々を、心から尊敬する。
断食といっても、日没から夜明けまではいくら食べても良いのだが、その日中だけの断食でも、かなりの困難を伴うことは、私のように実際に実践してみた人間にはよくわかる。


だが、その断食というものは、優れた霊的修行の方法だということは、多くの聖者たちが言うところであり、またイエスさまも断食をやっていた。
私が聖地巡礼を行うときには、常に断食状態だ。
その方が、祈りの集中度が高まり、高い意識状態にもっていくことができ、祈りが通りやすくなるということを、経験的にわかっているからだ。


聖地巡礼して朝から夕方頃まで断食することぐらい、人が思うほど大変なことではない。
かみんちゅネットワークの聖地巡礼などに参加して、他の人たちが美味しいものを食べているときでも、羨ましいとはあまり思わない。
むしろ、食べないことの爽快感を味わうことが楽しかったりする。
半日程度の短時間だから、そういう風に思えるのだろうが。


☆今日帰宅したら、母はフジコ・ヘミングのコンサートへ行っていて、食事が用意されていたので一人で食べた。
この人生で一人暮らしはほとんどしたことがないが、もしそういう生活を強いられたとしたら、いったいいつまで生きていけるだろうか。
とにかく家のことはなんにもできない(しない)人間なので。^^;
だが、そうなったら、間違いなく完全なヴェジタリアンになっているだろう。
家で時として肉を出されれば食べるのは、家族の愛情を想う結果だ。


☆「ヴェジタリアン」でぐぐってみたら(ぐぐるGoogleで検索する)、Wikipediaで『ヴェジタリアン』の項が出てきた。
その定義によると『「動物を屠殺、もしくは傷付けて得られる食品」を食べない人々のこと』とある。
この世界に生きていて、生き物を殺さないで生きていくことなど、不可能だ。
ここでいう「生き物」とは、生物だけでなく、植物や微生物も含んでいる。


どうせ殺さなければならないのなら、せめて苦痛を最低限に抑えてあげてほしいと思う。
そうすれば、その食肉に刻み込まれる苦痛や恨みの念などの精神波動も低減できるだろう。
もちろん、そういう業者の人々はそのような思いで仕事をされていると思うが。
だが、そうではない人々もいるのかもしれない。
ネットで検索すると、某フライドチキンのチェイン店では、鶏に対する虐待を行っていると主張するページもある。
ちなみに、下記の1番目のページからリンクしているサイトで、その「虐殺」の場面の動画を見ることができるが、これからもその店のフライドチキンを食べたいと思っている人は、見ない方が良いかもしれない。↓
http://homepage3.nifty.com/kojirotoyuki/KFC%20pilgrims-gyakutai.htm
http://www.momobox.com/animalrights_top.htm


☆肉を食べるにしても食べないにしても、大切なことは、犠牲になってくれた食べ物たち(動物や植物)に感謝して食べるということだろう。
本当に感謝の念をもっているならば、食べ物が残ってしまったからといって簡単に捨てたりはできなくなるのではないか。


☆古今東西、偉人とか天才とか言われた人々の中には、ヴェジタリアンが多かった。
たとえば、Wikipediaの「ヴェジタリアン」の項にそのリストがあるが、これはほんの一例だ。↓
Wikipedia「ヴェジタリアン」
ヴェジタリアンではないにしても、「食」というものに非常に気を使っていた人が多かったようだ。
こういうことに関心がある人にぜひお奨めしたいのが、この本。
お奨めしようと思っていたら、案の定、すでに絶版だった。
マーケットプレイスで1冊だけ出ていて、定価の倍ぐらいする。
よく調べられていて、他にこんなことを書いている本はないだろうという意味でも貴重なものだ。
偉人・天才たちの食卓


☆家族揃って同じものを食べられればそれが一番いいのだろうが、うちではそれができずに、いつも寂しい思いをしている。
よく、ヴェジタリアンの親が子供にそのような食事を強いて、栄養不良になったりするケースがあって問題になっているという。
だが、それは親に栄養に対する知識が不足しているせいであって、私が母親ならば、子供の栄養を偏らせることなく、完璧なヴェジタリアンの料理をつくる自信がある。
もっとも、子供がそれを「望むならば」だが。
親の信条によって、特殊な食生活を子供に強いるのも、かわいそうなことだろう。

新聞広告で見かけた本

レオナルド・ダ・ヴィンチ 伝説の虚実、竹下節子
キリスト教神秘主義の分野で博識な学者がダ・ヴィンチについて書くのだから、きっと面白いだろう。


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