探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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京都の?(謎)


3日間の京都聖地巡礼で、「?」と思ったことを書いてみます。
いわゆる俗世間的な意味での謎も含まれています。

京都の人はエスカレーターの右側に立つ

東京では、駅やデパートのエスカレーターに立つ時、必ず左側に立って、後ろから来た人を通しますよね。
あれが、京都では逆に右側に立つんですね。
この文化の違いはどこから来るのか?
もっとも、京都駅など観光客が多いところだと、この右左が逆転して東京と同じになることがあるんですね。
その列ができるときに、最初に立った人が地元の人かまたはよその人かによって違うのかなと思ったりして。

京都弁ばかり聞いてると独り言が京都弁になる

みなさんも、そうなりませんか?(俺だけか…)^^;

渡来人の子孫?

京都には、モンゴロイドとして不自然なくらいに鼻が高い人や、鷲鼻の人や、白人的な顔立ちの人がけっこういます。
昔の京都は渡来人の割合が非常に多く、アジアの様々なところから渡って来た人々が多く暮らしていたでしょう。
中にはペルシャユダヤから来た人もいたかもしれない。
そういう人々の祖先が、まだ京都には少なからず住んでいるのでしょうか。
京都の人ではないけれど、雅楽の東儀秀樹氏も先祖は秦氏秦河勝)だそうで、遠い昔に中東の方の血が入っていてもおかしくないような顔立ちではないでしょうか。

大酒神社と広隆寺の謎

弥勒菩薩で有名な太秦(うずまさ)広隆寺の隣りに、秦氏が創建した大酒神社(本来は大辟神社)があります。
広隆寺秦氏の長だった秦河勝聖徳太子弥勒菩薩像を祀らせたという寺で、かつては景教(中国に伝わったキリスト教)の寺院だったという噂もある。
そこで京都三大奇祭とされる牛祭が毎年10月にあります。
本来は大酒神社の祭りだったのが、現在では広隆寺が行っています。
この祭りは摩多羅神(まだらしん、またらしん)の祭りだが、マタラ=ミトラ=ミロクなのだろうか。
弥勒菩薩と同一視されるミトラ信仰にはイエスの信仰が混ざり合っていたというが、秦氏にとってミロク=イエスでもあったのだろうか。
そうすると、景教の寺だったという広隆寺弥勒菩薩が祀られていても不思議はないことになる。


下記のページによると、兵庫県の大辟神社の神紋は「違い矢羽」だという。
「違い○○」は秦氏の家紋によく見られるが、ここには十字架が隠されているのだろうか。
http://www.asahi-net.or.jp/~bh3h-smjy/rekisi/oosake.htm

蚕の社の謎

太秦にある秦氏の神社「蚕ノ社」は、正式には木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)といいます。
ここの境内にある三柱鳥居は、景教の三位一体を示すものだとか言われますが、これだけだと根拠は弱いでしょう。
むしろこれが秦氏にとっての聖地を結ぶレイラインの中心点であることの方が注目されます。↓
http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/kamo/kamo40.htm
なんだか今回の巡礼は、このレイラインに沿って巡拝させられたような気がします。
本来だったら四明岳(比叡山)とかも行く予定だったのだけど、風邪のため断念しました。


この神社の不思議は、三柱鳥居よりもむしろ、その手前にある元糺の池(禊用の池)です。
これはキリスト教の洗礼(浸礼)のための池だったのか?
下記ページでマウスを前後左右にドラッグすると、立体写真で見られます。
残念ながら池に水は入っていないけれど。↓
http://kyoto.adkiji.com/kaiko-no-yashiro_34_73/qtvr.html


この手の話は、言葉のゴロ合わせで終わってしまっていることも多いんです。
たとえば、太秦にある「いさら井」と呼ばれる井戸が、イスラエルから来ているとか。
こういうあやふやな説を排除していっても、残るものはあると思うんですね。
秦氏という謎が多い氏族について、さらに探求してきたいです。
このようなことに興味がある人は、『聖地巡礼ファイル』の「古都に隠された十字架」(前編・後編)を読んでみてください。
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/SJF/index.html


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