探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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孤独と音楽


夜ひとりで静かな部屋にいると、楽器を弾きたくなってきたりする。
時にはギターやシンセを弾いたり、ときには竹笛スゥリンやルバブを出してきて弾いたり。


ルバブというのは、このブログやmixiのプロフィールで私がコスプレ姿で(?)弾いているもの

ジャワの民族楽器で、胡弓の仲間だ。
バリのガムラン音楽でも使用される。
この楽器、外観が非常に繊細で美しくできていて、見ていて飽きない。


ちなみに私は2台もっていて、2台とも壊れてしまった。
両方ともバリ島で購入したもの。
1台は、花小金井へ引越してきたときに、引越し業者に弦巻きの部分を折られてしまった。
もう1台は、息子が1歳くらいのときに、皮を破られてしまった。
先日、その2台を合体させて、見事に1台のルバブができあがった。
そのうちYouTubeで披露することにしたい。
でも、だいぶ遠ざかっていたので、まだ音程が不確かで人に聴かせられる段階ではない。



いままでの自分の人生の中での音楽との接し方を振り返ってみると、音楽というのは、一つには寂しさを紛らわす手段だったように思う。
あるいは、孤独を癒す手段だった。


音楽とは、常に孤独の友ではないかと思ったりする。
寂しがりやで、孤独癖があるという人間には、欠かせないもの。
ある人は、孤独の叫びを一人歌に込める。
またある人は、それを芸術にまで高めていく。
自分の「病」を切り売りして、有名になっていくみたいな。
芸術の本質には、そういうところがある。


孤独で思い出したけれど…。
若い頃、一時期ユングに傾倒していた。
ちなみに、ユングとは「通り過ぎるもの」であって、到達する対象ではないと思う。
それは置いといて…そのユングが、こう言っている。

孤独とは、まわりに人がいないために生じるのではなく、自分にとって重要だと思っていることを他者に伝えられないことや、自分が他人の許容することのできない何らかの観点を持つことにより生まれる。


ユングは母方の先祖に霊能者のような女性が多く、自分もそういう資質を多分にもった人だったから、たしかに「他人の許容することのできない何らかの観点」は、いろいろ持っていたのだろう。
考えてみると、自分も30歳のときの一連の霊的体験によって、「他人の許容することのできない何らかの観点」をますます持つようになってきてしまったようだ。


家族にも理解されない寂しさ。
ユングに長年の愛人がいたというのは、まあそういう理由とは別だろうが。


音楽の話に戻すと、そういう何らかの感情のヴァイブレイションを旋律というコードにしていくのが音楽だろう。
寂しさ、喜び、悲しみといった、感情のひだを表したもの。
でも、そういう次元からまったく自由になった音楽というものも存在する。
たとえば「天上の音楽」というか。
私自身も、そういう音楽を目指している。


もともと、ある種の楽器は、「神の声」だった。
あるいは、その神の具現である何らかの自然の音の模倣から始まった。
それを、シャーマンたちが音として表した。
たとえば古代の日本だったら、琴とか笛とか。


シャーマニズムと音楽とは、密接な関係がある。
でも、そういうものも超えた存在の高い階梯で響く音。
そのような音楽を求めているのだけど、そのためには自分がそのような体験ができるようにならなければいけない。


やっぱり聖地巡礼
振り出しに戻る。
神さまに逢いに行かなければ。


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