探求三昧2(旧はてなサイト) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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カルマ〜学習と習得(1)


まず、今朝千葉県沖で地震があったが、新たな記事としては書かず、下記の記事に追記する。
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20080429/eq


今日から5月。
人間というのは、やはり自分が生まれた頃の季節がいちばん調子よくなるのだろうか。
ところが、数日前から喉の調子がおかしかった。
風邪を引いてしまったようで、咳が出てきたので、仕事を休んだ。
週末に睡眠時間が4時間とかの日が続いたせいもあったかもしれない。
明日2日から6連休の予定が、1日多くなってしまった。
5月5日の誕生日あたりには、きっと聖地巡礼を指示されるだろうから、早めに治しておかないとと思って休みを取った。


この記事はシリーズにするかもしれないので、タイトルに「(1)」と付けた。例によって、まったく反応がなければ続けないかもしれないが。


いまメールをやりとりしている人の中で、彼氏が別の恋人をつくったことによって深く傷ついた経験がある女性が何人かいる。
そういう人々が一様にメールに書いてくるのは、「こんどこそは誠実な人と出逢いたい」ということ。
そのような決意をした人は、もちろん自分も人に対して同じような行為はしなくなるだろう。
ある女性は、たとえ自分が孤独であっても、誠実な恋人と出逢えないのならば、孤独を選ぶ方がまだ良いと書いていた。
これはひとつの偉大な「学び」だろうと思う。

自分も同様の体験が

私自身の人生を振り返ると、上に書いたような女性たちと同じような立場に立たされたことが何度かあった。
一度については、ノンフィクション作品で書いたりしているので、バレバレだが。^^;
ちょっと話がはずれるが、恋人が遠く離れた場所で別の男と一緒になっているときには、ある種の「胸騒ぎ」がするのだ。
言葉で表現するのがむずかしいが、無性に悲しくなるというか、イヤな気分だ。
それをきっかけにして、相手がどういうことをしているのかと気づく。
いま思うと、それは私の「後ろの人」が教えてくれているからではないかと推測する。
霊感がある人は、大なり小なりきっと同じような体験をしていることだろう。


私の場合、幸いにしてというか、そのような「学習」の過程を経なくても、愛する人をそのような形で傷つける行為はしたことがなかった。
結婚していたときはもちろん、他の女性と一緒になったことはなかった。
ただ、ある女性と交際している間に、別の女性を好きになったことはあった。
その恋人には、すぐに真実を伝えて別れたが。
いま考えると、悪いことをしてしまったと思う。


彼女は私との結婚まで真剣に考えていたようだ。
だが、二人の間には奇跡的としかいえない縁があったが、それは残念ながら逆縁だったのだ。
いうまでもなく、逆縁ほど吸引力は強い。
一緒にならない方が、お互いにとって幸いだっただろう。


相手のことが好きだが、一緒にならない方が良いと思うときがある。
たとえば、相手と極端に歳が離れていたりする場合とか。
私のように50を過ぎている場合には特に。
まず相手の家族から大反対されるだろうし、また将来のことを考えると、自分が死んでから相手を孤独にさせたくないとか。
まあ、そういうことは問題ないと相手が思うならば、また話は別だが。

ブーメランの法則

人間の体験の中には、実際に人にあることをされて初めて、それがやってはいけないことなのだと気づくことがある。
不倫・浮気や二股をかけたりすることは、なぜやってはいけないことなのか?
それは、愛する人を欺くことに違いないからだ。
人を深く傷つける行為だから。
それは、スピリチュアルな生き方とは、遠くかけ離れているだろう。


この宇宙では、「自分が人にした良くないことは、いつか自分に返ってくる」というのがある。
これを「ブーメランの法則」と呼んでいる。
私が勝手にそう呼んでいるだけなのだが、そういう言葉はすでにあるようだ。


自分自身のことについても、当てはまることがある。
私の先祖や私の過去生では武士だったことがあって、多くの人たちを傷つけてきたようだ。
霊能者のような人からは「刃物のカルマがある」と言われたりもする。
そのような行為の結果としての恨みの念とは、ちょっとやそっとでは消えないだろう。
その結果として命を落としていたとしたら、尚のこと。


そのようなケースで生じたカルマは、その解消のために一生の祈りを要したりする場合も少なくない。
百瀬家でいうと、そのような役割ももって生まれてきたのが私なのかもしれない。
先祖が武家だったりすると、その子孫にもやはり武士的な性格というのが顕れてくる。
たとえば攻撃的だったり、誇り高いところがあったりとか。
私の場合、あまり多くは語れないが、そういう存在がうしろについているようでもあるので。

学習と習得

いつも書いているように、このようなことは「罪と罰」として捉えるのではなく、「学習と習得」と考えることにしている。
人間というものは、基本的に「人の痛み」を「自分の痛み」ほどに強く感じることはできないものだ。
だが、それができるようになるのは、自分が人から同じような痛みを受けたときだろう。
上記のケースでは、人間にとって誠実・正直であることがいかに大切かを学ぶのだ。
この宇宙の偉大なる意思(神)は、そのようにして人間が霊的に成長するカリキュラムをつくってくれているのではないか。


そして、いままでスピリチュアルなものの考え方とは縁遠かったという人が、そのような体験をすることによって、何かに目覚めることは、あるのではないか。
このように、人間にとって人生の「教科書」などなくとも、自身の体験によって学びを得られることがある。
自分の体験こそが「教科書」なのだといえるだろう。


前述したメールをやりとりしている女性たちは、たとえ自分で「スピリチュアル」だという自覚がなくとも、十分にスピリチュアルだといえるだろう。
そういう人たちは、やはり友だちとして大切にしたいものだと思う。


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