探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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ダライラマ+特別供養+四川大地震+真言


今日は、護国寺で行われた四川省地震特別供養に参加してきた。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所の主催によるもの。
個人的には、久々に不思議体験をした1日となった。
このイベントについては、5/21の記事で紹介しておいた。↓

sichuan earthquake


ブログへのコメントで情報を提供してくれた方がいて、知ったもの。
だが当日は鹿島神宮の方へ聖地巡礼するように指示が出ていたので、参加できないだろうと思っていた。
昨日の夜、再度ダウジングで後ろの存在に伺ってみると、週末の聖地巡礼はないとの意外な応え。
四川大地震のニュースが出ている中で、聖地巡礼しなくても良いということは…。
ではこれかと思って聞いてみると、やっぱりそうだった。
護国寺へ行くようにとの指示だ。

四川省地震特別供養とは?

中国では震源地の地名を取って汶川(ウェンチュアン)大地震などとも呼ばれているようだ。
この日の特別供養は、チベットダライ・ラマ法王日本代表部事務所が主催して、護国寺の本堂を借りて行われたもの。


特別供養といっても、いったいどういうことをするのか?
事前には、まったく情報が得られなかった。
とにかく行ってみるしかない。

護国寺

いつも聖地巡礼する時と同様に、朝から断食で臨んだ。
いままでの経験からいえることは、満腹状態で祈っても、祈りを通すのは難しい。
聖地巡礼の時や、このような重要なイベントに際しては、霊的な意味でもやはりクリアな精神状態で臨むべきだと考えている。

大きな地図で見る


池袋から有楽町線に乗り、2つ目の護国寺駅で降りる。
護国寺方面出口を出ると、その前がすぐ正門になっている。
以前、学生の頃に、東池袋に住んでいたことがある。
サンシャインシティーや造幣局のすぐ近くで、都電荒川線の線路沿いにあった。
護国寺はそこから1Kmほどの距離にあったのだが、お参りしたことはなかった。


あの頃は、もちろん聖地巡礼なども始めていなかった。
そもそも、お寺や神社へお参りしようという発想が出てこなかった。
スピリチュアルなことや超常現象は10代の頃から研究したりしていたが、神仏の存在についてはまだ疑問なところがあったのだ。
いま考えると、人間とは10年か20年の間に、ずいぶん変わり得るものだなと思う。

護国寺とは

護国寺といっても、地方の人には地理的にピンと来ないかもしれない。
池袋から南東方向へ2Kmほどの、文京区大塚にある真言宗の寺だ。
私自身お参りしたことがなかったので、知識はほとんどなかった。
正式名称は、真言宗豊山派大本山護国寺という。
徳川第5代将軍・綱吉の母である桂昌院の発願によって、天和元年(1681年)に創建された寺だ。


護国寺のご本尊も知らなかったが、調べてみると、如意輪観世音菩薩像だ。
故あって詳しくは書けないが、観音さまには、過去生からのただならぬご縁がある。
子供の頃、叔母さんが浅草の観音さまに連れて行ってくれるというので、楽しみにしていた。
それが中止になったと聞いて、かなりダダをこねた覚えがある。
普段ものを欲しがったりどこかへ連れて行ってとまったく言わない子が、その時だけは違ったと。
前世のことを覚えていたのだろうか。

チベット仏教式の御供養だった!

護国寺の門をくぐると、その敷地の広さに驚く。
まだ東京にこんな広い土地があったのかと。


開始時間である15:00の10分ほど前に本堂(観音堂)に入ると、まばらに人が集まりつつある。
本堂の中央2列目あたりに座って開始を待つ。
隣に座った男性が「マイ数珠」を取り出すのを見て「しまった!」と思う。
インドの慈愛の聖母アンマが触れて祝福していただいた、マイ数珠を持ってくるのを忘れた。
(アンマといえば、どうしても仕事が休めず、今年もダルシャンに参加できない)


般若心経や真言を印刷した紙が配られる。
想定外だったのは、その後だった。
次に配られたのは、なんとチベット仏教の経文を印刷したものだった。
三帰と発心、開経偈、般若心経、二十一尊ターラー礼讃誦、七句の祈願文、グル・リンポチェへの祈願と真言念誦、ダライラマ十四世の成就祈願…。
それらの経文が、チベット語とカタカナで書かれている。


それから、『デンツィン・モンラム(Words of truth)』という経文も。
これは、ダライ・ラマ14世が1960年9月29日に亡命先のインド・ダラムサラで書かれたものだという。
この祈りは、平和・仏教の教えとチベットのぶんかのため祖国に残る人々のために書かれたもの。
1枚紙の表にカタカナ、裏に訳文が書かれている。

はじめの挨拶

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15:00になり、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所チベット人の挨拶が始まる。
僧侶の方かどうかはわからない。
次のようなことを言われていたのが印象に残った。

  • 六道の世界では、輪廻転生による縁によって、この世に自分と関係ない人間は誰もいないのだ。
  • 大勢の人々が同時に祈ることによって、力が強まる。

たとえ海の向こうの大陸の出来事であっても、「自分とは関係ないこと」ではないということなのだろう。

「ぎゃーてーぎゃーてー」

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所チベット人僧侶について、読経が始まった。
まったく初めて目にした意味不明のカタカナの羅列でも、なんとか読めるものだ。
般若心経などでは、日本でもお馴染みの句も登場したりする。
たとえば、次のような一文。

ガーテー・ガーテー・パーラガテー・パーラサムガテー・ボーディスヴァーハー


日本の般若心経では「掲諦掲諦(ぎゃーてーぎゃーてー)波羅掲諦(はーらーぎゃーてー)波羅僧掲諦(はらそーぎゃーてー)菩提薩婆訶(ぼーじーそわかー)」となっているが、どちらもサンスクリット語の原文をそのまま音写したものだから、似ていて当たり前だ。
なぜ意味がわからない原文をそのまま経文に入れたのかというと、サンスクリットの音そのものが聖なる力を有すると考えられたからなのだ。


般若心経以外の経文でも、読経していると、なんだか懐かしさを覚える。
「過去生のチベットで、こういう経文を唱えていたことがあるのではないか」などと思ってしまうほどに。

トランスに入った

「二十一尊ターラー礼讃誦」という長い経文が終わった後で、「観自在菩薩六字真言」が繰り返される。
有名な「オーム・マニ・ペーメ・フーム」という真言(マントラ)だ。
小冊子を置き、合掌瞑目して「オム・マニ・ペメ・フム」を何度も繰り返し唱える。


そのうちに、だんだんおかしくなってきた。
こういう経験がない人に、言葉で説明するのは難しい。
自分の頭の中で何か聖なる力が広がっていくような、恍惚とした状態。
合掌した手が自然と上に上がっていき、頭がのけぞっていく。


真言を唱える口が止まり、しばらくその感覚に身を委ねる。
自分的には「観世音菩薩さまが降りてきたのではないか」というような印象を抱いていた。
本当かどうかはわからないが。
慈悲の光に包まれたような感覚。
「このままの状態でずっといたい」と思わせるような。


いわゆる自己が消滅した状態である「神秘体験」とは違う。
「自己」の感覚が、完全に消滅しているわけではない。
恍惚状態を味わっている主体である「自分」という存在が、まだどこかにいる。
同時に、そのような快感をいつまでも味わっていてはならないと思う自分も、どこかにいる。
思い出したように、また真言を唱え始める。


時々また読経を止めて、クムバク(止息)して、眉間のアジナチャクラに思念を集中する。
被災された人々が救われますようにと念じる。
このようなときだから、至福感に浸ってばかりもいられない。


その後、「グル・リンポチェ御真言」を繰り返し唱えていたときにも、同様のトランス状態になった。
「オン・アー・フーン・ヴェンザグル・ペマシディ・フーン」という真言だ。
グル・リンポチェはパドマサンバヴァともいい、チベット仏教4大学派の1つのニンマ派の創始者で、8世紀頃に生きた人物だ。
もしかして、私はチベット仏教とも、どこかでつながりがあるのだろうか。
そんなことを考えていたりした。

真実の言葉

次に、ダライ・ラマ法王がつくられた経文「デンツィン・モンラム(真実の言葉)」を唱える。
歌のような節回しで唱えるもので、1度や2度聞いただけでは、その旋律は覚えられない。
その一説を以下に紹介する。

仏陀の完全な教えは、世俗的な苦悩、利己的な平和を求める苦しみを消滅させます。


「利己的な平和」というあたりが、深いと思う。
いま日本という国でわれわれがぬくぬくと生きていられる傍らで…。
仏教では、そういう状態を本当の平和とは言わない。
世界で何が起きているかを見ようとせずに、自分たちだけが「平和」だと思っているのは、やはり「利己的な平和」なのだ。


私は以前から、観世音菩薩の化身とされるダライ・ラマ法王14世に対して尊敬の念を抱いていた。
それはひとつには、法王がチベットのことだけでなく、常に世界を見据えてものを考えている点にある。


その後、日本語による般若心経も唱えられた。
すべての読経が終わり、2時間にわたる供養は終わった。
参加者たちにミルクティーとお菓子が配られる。


今回参加された方もこの記事のコメントに書いているが、読経の間中、一体感のような空気で満たされていたように思う。
真言宗以外の他宗派の人や、中にはクリスチャンも来られていたという。


護国寺の僧侶の方によると、このお寺では数年前からダライ・ラマ法王日本代表部事務所に協力して、いろいろなイベントを開催しているようだ。
観音さまの前でお祈りをして、募金箱に寄付金を入れる。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所では、ネット上でも募金を募っている→後述)
不動明王さまにもお祈りして、本堂を出る。
外は雨が降っていた。
用事があって新宿に寄るが、しばらくは恍惚状態が続いていた。


この日のことは、下記の毎日新聞で記事になっていた。
在日チベット人ら130人が参加したとある。

「オム・マニ・ペメ・フム」

今日の特別供養では、トランスになるという予期せぬ状態になった。
「オム・マニ・ペメ・フム」を繰り返し唱えた結果なのだろうか。
縁ある観音さまのお寺だったからなのか。


ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトでは、チベットに関するさまざまな有用な情報が得られる。
「オム・マニ・ペメ・フム」でググッて(Googleで検索して)みると、いちばんトップに出てきたのは、このサイトの解説ページだった。↓


「オム・マニ・ペメ・フム(Om・Mani・ Pedme・Hum)」は、チベット仏教徒によって最もよく唱えられている真言(マントラ)だ。
いままで不学にして、この真言の意味をよく知らなかった。
このマントラは、慈悲の化身である観音菩薩真言なのだ。
これを唱えることによって、人は悪業から逃れ、徳を積み、苦しみの海から出て、悟りを開く助けになると信じているという。
その正確な意味は、上記ページにある通り。


手元にある『真言陀羅尼』(坂内龍雄著、平河出版社)の「六字陀羅尼」の項では、こうある。

【慣用句】オン・マニ・パメー・フン。
【和訳】宝珠蓮華尊に帰命したてまつる。離垢ならしめたまえ。

さらに解説では、「玉は智慧、蓮は慈悲の徳で、観音の象徴である」とある。
このように聖なる音が重なって、「力」となっているのかもしれない。


ちなみにこの本、かなり役に立つ「バイブル」的存在だ。
たぶん絶版になってるだろうとAmazonを覗いてみると、まだ売られていた。
私がもっているのが第23刷だから、版を重ねてロングセラーになっているようだ。
380頁ぐらいあって、価格の割には情報がびっしり詰まっているという感じで嬉しい(←本オタク?)

真言陀羅尼

真言陀羅尼


今日の自分の体験でも、この真言が特別に強力な力をもったマントラではないかと感じたものだった。
だが、これは一回性のもので、再度同じ体験をしようとしても、できないかもしれない。
チベット仏教の作法、護国寺四川大地震の供養、あそこに集まった人々の力(霊力)といった要素が重なって、初めて出てきたものなのだろうか。


Photobucket
この記事を読んでいる方で、かつて「オム・マニ・ペメ・フム」で不思議な体験をしたことがあるというのがあれば、ぜひ教えてください。

その他の情報

護国寺では、毎日19:30〜20:30に大師堂にて、「夕勤行」としてチベットと世界の平和を祈る法要を行っているとのこと。
チベットの方々が参加されるときはチベットのお経と般若心経などを、日本人のみの場合は般若心経などを唱えるという。


◎現在のチベットの状況などを知るための、「チベット問題を考える」などと題した講演会が各地で開催される。
詳細は日本代表部事務所の下記ページを。↓


◎また、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所では、四川大地震の救援募金を募っている。↓


◎今日の会場で配られたチラシによると、6/21(土)14:00には、東京都台東区の谷中コミュニティセンターで、ダライ・ラマ14世の映画『慈悲を生きる』上映会がある。
主催はソナム・チェリン(在日チベット人会)で、参加費は500円。
期日が近くなってから、このブログで詳細をアップします。


ダライ・ラマ法王がつくられた経文「デンツィン・モンラム」の日本語訳は、下記サイトでPDFがダウンロードできる。
下記ページで下の方へスクロールしていって、「◆キャンドル・ライティング@代々木公園◆」のところにある「◆真実の言葉・訳(意味)」をクリックする。
「真実の言葉」(原文カタカナ)の方は、なぜかリンクエラーになってしまっている。


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