この記事は、12年前の2010/08/28に投稿したものを加筆訂正したものです。
現在のタイ人の妻と出遭い結婚する前年に書いたものです。
■浮気という病気
朝日新聞土曜版『be』に、「悩みのるつぼ」という身の上相談コーナーがある。
回答者は、作家の車谷長吉氏。
今日は、「浮気男の性根は一生直りません」という見出しがついていた。
相談者は70代の女性で、いままで数歳年上の夫の浮気に悩まされてきたが、今でも浮気をしているという。
その回答としては、相談者が虚栄心が強いことが最大の問題だという。
「責任の半分はあなたにあります」と。
たしかに、世間体を気にして夫の問題を口外しない妻にも原因の一部はあるだろう。
夫が、そういう妻の性質につけこんで、浮気を繰り返すのだ。
車谷氏は、「浮気男の性根は一生直りません」と結論づけている。
浮気の好きな女性も同様だと。
そういう男女を何人も見てきた結果、そういう結論にたどり着いたようだ。
個人的経験では、いままで接した女性の中で、浮気をされたというのが2回ほどあった。
1回は、すぐに別れた。
もう1回は、すぐには別れなかった。
だが、彼女はその後は私と一緒にいる間は、浮気はしなかったようだ。
そういう例外もある。
浮気をする人間は、快楽追求主義者のようなパターンが多いようだ。
また、息を吐くように嘘を吐くような人々。
浮気とは、愛する相手を騙し裏切ることに他ならない。
言うまでもなく、魂が高度に成長を遂げた人々のすることではない。
■バタフライ・マン
ちなみに、タイでは日本以上に(?)そういう浮気者の男性が多いらしい。
外国人男性を探すタイの女性の多くは、「タイの男はもう懲り懲り」と思っているようだ。
タイ人女性が年上の外国人男性を探し求める場合は、必ずしもお金目当てばかりとは限らない部分があるのだ。
彼女たちは、そういう浮気男たちを「バタフライマン」と呼んでいる。
Webで調べなくても、その意味するところを悟った。
つまり、蝶が花で甘い蜜を吸った後で、花から花へと渡っていく様を女性に例えているのだろう。
ググってみると、タイを舞台にした『バタフライ・マン』という映画があった。
それによると、バタフライマンとは、蝶のように娼婦の間を渡り歩くファランの意味だという。
ちなみに、ファランとは、タイ人たちの白人に対する呼び方だ。
■年齢が離れていても気にしない女性たち
タイへ行くと、年配の白人男性と、それよりもずっと年下に見える女性とのカップルが目立つ。
自分よりずっと年上の日本人男性に関心を寄せるタイの女性も少なくない。
一般にタイの女性たちは、結婚相手との年齢差をあまり気にしない。
私の見たところでは、20歳ぐらいの年齢差は普通に見られる。
うまくすると(?)、30歳以上のケースもあり得る。
この傾向は田舎の方へ行くほど強くなり、60代と20代前半の夫婦などというのもある。
女性からすると、自分の父親よりも年上の男性を夫にするということになる。
同じ東南アジアのインドネシアでも、イスラム教の一夫多妻制の伝統があるせいか、歳が離れた夫婦も多い。
だが、最近の若い女性たちの傾向としては、あまり年齢が離れている男性を敬遠する傾向にあるようだ。
また、インドネシアでは90%がムスリム(イスラム教徒)だという問題がある。
ムスリムは、ムスリムとしか結婚できない。
そして、ムスリムは改宗することを許されない。
ということは、ムスリムの女性と結婚しようと思ったら、自分がイスラム教へ改宗するという道しかない。
しかも、いったん改宗したら、許へ戻る道は残されていない。
さあ、それでも結婚しますか?
同じアジアでも、インドの女性の場合は、日本人女性とあまり変わらない。
または、それ以上に年齢差を気にするようだ。
理由はよくわからないが、ヒンドゥー教の何かと関係あるのだろう。
■日本の女性の場合
日本の場合はというと、一般的には10歳も離れていると、女性から相手にされなくなる。
私など、その点では苦い思い出がたくさんある。
私の場合、実際の歳よりもずっと(10歳以上)若く見られることが多い。
というか、いままでの人生で、歳相応に見られたためしがない。
私に関心をもった女性たちが、私の歳を知ったとたんに態度が急変するということがよくあった。
日本人女性に対して嫌悪感をもちたくなるくらいに、いままで何度も経験している。
向こうからすれば当然のリアクションなのだろうが。
(このあたりの事情は、この記事を最初に書いた頃から変わりつつある)
ある日本人女性を対象とした調査によれば、どのくらいの年齢差まで許容するかという問いに対して、やはり10歳以下というのが多かった。
だが、「14歳までなら」というのが一部あった。
それ以上となると、格段と少なくなる。
15歳差となるとちょっと離れすぎという感覚だろうか。
私事でいうと、どうせ結婚するならば、まだ子供が産める年齢の女性をと思う。
だが、この歳(54歳)になると、そういう女性を日本で探すのは超難しい。
必然的に、それでは海外へ目を向けて、ということになる。
ちなみに、アジアでは、タイとフィリピンの女性が一般的に年齢差を気にしない傾向にある。
だが、個人的には、フィリピンの女性には関心がもてない。
中国人女性も、一時期はタイやフィリピンと変わらない年齢差を許容していたようだが、最近はそうでもなくなってきたようだ。
欧米人の女性でも、中には年齢差をそれほど気にしないという人もいる。
だが、私のような人間が白人女性と一緒になっても、うまく行くはずないというのは目に見えている。
欧米人のようなタイプはダメだと、琉球シャーマンたちから口を揃えて言われている。
タイの人口の大多数を占めるタイ族は、美人が多いことで知られる。
バンコクの町を歩けば、日本の女性とあまり変わらないファッションセンスをもつ若い女の子も多い。
もっとも、「きれい過ぎる女性」は整形していたりするので要注意だ。
そういう女性は、鼻の形でだいたい推測がつく。
タイの女性たちの多くは、無垢の笑顔を絶やさない。
そういう女性たちに笑顔でワイ(合掌)されたら、ときめいてしまうのも当然だろう。
(もっとも「タイスマイル」などとも言われるが)
■浮気男の話に戻って
だいぶ脱線してしまったけれど、浮気の話だった。
やっぱり、どんなに相手の外見が魅力があるとしても、浮気をするような相手は敬遠すべきでしょう。
普通すぎる結論かもしれないけれど、今の世の中を見ていると、必ずしもそう考える人が多くないように思えてくる。
浮気というものは、まったくしたことがない。
自分の一生を神に捧げ神の道具として働いている人間として、そういうことは許されないのだ。
幸せな結婚をしたければ、やっぱりそういう男性を探した方が良いでしょうね。
それがものすごく困難なことだとは、わかっているけれど。
浮気とか不倫とかする人間は、それ以外の点においても、あらゆる点で信頼できなくなる。
ここに書いたようなことは、スピリチュアルな生き方をする人々にとっては当たり前すぎることだろうけれど。
そういう人々は、一生の伴侶を外見だけで判断したりしないでしょう。
■なぜ浮気はいけないか?
なぜ浮気はいけないことなのか。
そんなこと、書くまでもないことでしょう。
自分が浮気された立場に立ってみれば、よくわかる。
私が昔付き合っていたある女性との間で、2回浮気をされたことがあった。
その時に、わけもなく心が不安定になったことをよく覚えている。
一人は外国人だった。
もう一人の方は、人生で最初に経験したことだった。
彼女が帰省しているときに、ある日突然、気分が不安定になった。
それは正確に表現できないが、とにかく心が落ち着かなくなり、意味もなく歩き回った。
広い公園の中を、わけもなくどこまでも。
何が自分をそうさせるのかわからなかったが、とにかく不安だった。
後で知ったことだが、ちょうどその頃、彼女は元彼とよろしくやっていたのだ。
ああいう経験は、もう懲り懲りだ。
そのような霊的感受性をもつ人は、ごく一部だろう。
だが、やっぱり大なり小なり、不安になる要素があるのではないか。
自分がしてほしくないことは、人にもしない。
これが、霊的世界を生きる者、だけでなく、誰にとっても必要なことだろう。
そのことを学べない者は、いつか学ばされる。
たとえば、妻に対して浮気を繰り返していた夫は、来世では逆の立場になるかもしれない。
つまり、相手の浮気に悩まされる。
そういう場合は、きっと「人の痛みを学びなさい」ということなのだ。
そのような二人の場合、「やったらやり返す」では、永遠に学びがないままで繰り返されることになるだろう。
お互いに「気づき」がなければいけないのだ。
浮気男と一緒になってしまうのも、その女性がもつ業(学習教材)の故なのかもしれない。
だが、できるならばやはり、そういう男を避けるに越したことはない。
見た目だけで人を判断するような人にはまだ、霊的成長の段階として難しいかもしれない。
美男美女と一緒になると、人一倍の苦労があるかもしれない。
魅力的な相手と一緒になると、「他の人に取られるんじゃないか」とか「浮気をされないか」とか、心配が絶えない。
美人薄命というが、美男美女はある意味で霊的成長が難しくなる要素を秘めている。
人間なにが良い悪いなんて、そう簡単には判断ができない。
自分に起きることは全てが「学び」のためなのだから、それに従えば良いだろう。
だが、そんなに回り道をしたくないというのならば、もっと早く真理を悟ることだ。
それが簡単にできるならば、私もとっくにやっているだろうが。