クリスマスの夜には、いつも何かしらイエスさまにまつわることを書いていた。
タイ行きを2日後に控えて忙しいが、ちょっとだけ書くことに。
毎年同じようなことを書いているような気がするが…
クリスマスイヴというのは、イエスさまの誕生を祝う日だ。
実際は12月25日に誕生したのではないということは、多くの人々が認めるところだろう。
そのことは、自著『ヴィア・ドロローサ〜イエスが歩いた悲しみの道』でも書いておいた。
- 『ヴィア・ドロローサ〜イエスが歩いた悲しみの道』(百瀬直也著)
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/19300401/dorolosa
また、5年前の記事でも、クリスマスと太陽信仰やミトラ神などの関係も書いておいた。
- クリスマスを考える
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20051218/xmas - クリスマスを考える(2)〜或いは「太陽神ミトラと秦氏」
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20051224/xmas
アンマの2006年のメッセージ
インドの慈愛の聖母アンマに関するメールマガジンがある。
4日ほど前に、最新版が届いていた。
「アンマって誰?」という人は、2004年に書いた下記の記事でも読んでみてください。
メールには、アンマの2006年のクリスマス・メッセージが掲載されていた。
その一部を引用する。
クリスマスを真に祝うと言うことは、
イエス・キリストの教えを思い出す
ということであり、
自分の日々の生活に
それを実践するということです。
なるほど、聖夜というのは、イエスさまの言葉を思い出し、その意味について考える日とすれば良いんだな。
私はクリスチャンではないが、イエスさまを深く信じている。
イエスさま、マリアさま、ベルナデッタさまをお祀りしていて、毎朝祈っている。
アンマをはじめとしてパラマハンサ・ヨガナンダ師などもそうだが、インドの聖者たちが素晴らしいのは、インドの宗教だけでなく世界中の偉大な宗教を尊重し平等に扱っていることだろう。
アンマが生まれたケーララ州は、じつは昔からキリスト教徒が非常に多い土地だった。
そういう土壌で生まれ育って、イエスさまの教えの影響も受けたのかもしれない。
アンマの2005年のメッセージ
もう一つ、その前の年の2005年のクリスマスの時のアンマのメッセージが、下記のページにある。
- アンマのクリスマスのメッセージ
http://www.amma.jp/web/contents/talks/xmass2000.html
ここで、アンマはこう語っている。
もしも人間がみずから作りだした宗派の違いにこだわらず、イエスのような色々な偉大な師の人生からもっと霊感をうけることができさえすれば、クリシュナの誕生日やクリスマスやマホメットの誕生日を、あらゆる宗派の人々が同じ気持ちで祝うことができる日も遠くないことでしょう。
本当に、そういう日が早く訪れてほしいものだ。
「自分の国」「自分の宗教」「自分の考え」などのような狭いとらわれから自由になり、世界全体とか全体のことを考えられるような人が増えてくれば、そういう日も本当に来るかもしれない。
イエスさまの言葉
Twitterで、『賢者のことば』というアカウントを作っている。
ここでは、古今東西の賢者たちの言葉を配信している。
その中から、イエスさまの言葉をいくつか紹介しておく。
地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。--ナザレのイエス(マタイ6:19)
私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。--ナザレのイエス(マタイ5:11)
狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。--ナザレのイエス(マタイ7:13)
この最後の言葉こそ、イエスさま自身が実行し、身を持って我々に示されたことだろう。
涙が出てきそうになる。
イエスさまの教えは、古代の日本に早くから入り込んでいた。
それは、たとえば原始基督教徒の(?)秦氏がもたらしたのかもしれない。
確言はできないが、今までの探求によって、その可能性は高いと考えている。
神道や仏教の教えにも、イエスさまの教えが入り込んでいる可能性がある。
愛を説くその教えは、われわれ日本人の心の底にも、知らず知らずの内に流れていたかもしれないのだ。
世界から貧富の差がなくなり、飢えや病気で苦しむ子どもたちがいなくなりますように。
タイの仏教寺院を廻って、祈ってくることにしたい。