探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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神道とユダヤ教(6)無視できない共通点


この連載のタイトルは、あまり適切ではなかったかもしれない。
広い意味で、日本と古代イスラエルの共通点を扱うものとしたい。
仕事が忙しくて、毎晩0時すぎに帰宅でブログを書く暇がなく、日曜ぐらいしか休めないので、頻繁には連載できないが。


Facebookで、「The Lost Tribes of Israel in Japan」というグループを作ったことは、以前に書いた通り。
先日、そのグループに参加したユダヤ系米国人の男性と知り合った。
彼も私と同様の研究を長年続けていて、私がYouTubeに投稿した動画に関心をもったようだった。
今後、お互いにこの分野について情報交換できそうだ。
私がこのグループを作ったのも、こういう出会いを求めていたというのもある。
これからの展開が楽しみだ。


今回は、古代イスラエルと日本のつながりについて、少なくともこれだけは言えるというポイントをまとめてみたい。
それは、以下の3つのものだ。

  1. ユダヤ教神道
  2. 聖書と古事記日本書紀(特にイスラエル12支族と天皇家の系図)
  3. ヘブル文字(アラム文字)とカタカナ・ひらがな


ユダヤ教神道の共通点については、いまさら言うまでもない。
両者に何の関係もないことを「論証」するのは、きわめて難しいことだろう。
ただ知識人の方々は、馬鹿にされるのを恐れてか、なかなかそういうことを語ってくれない。
やっと梅原猛氏が「隠された十字架」の真の意味を明かしてくれたために、事情は変わってくるかもしれないが。
秦氏景教徒だった可能性を示唆したこと)

聖書と記紀

聖書と記紀については、先日書いたように、自分の中で納得するに足りる根拠となることを収集してきた。
そのことは、これから執筆する自著で公表するつもりだ。
少なくとも、「物」(聖書)は古代の日本に入っていた。

ヘブル文字(アラム文字)とカタカナ・ひらがな

ヘブル文字とカタカナ・ひらがなについても、偶然とは思い難い一致点がある。
この分野については、「日本とユダヤのハーモニー」での中島尚彦氏の詳細な研究がある。
ところでこの人、私がいつも利用している「サウンドハウス」の社長だということを、今はじめて知った。
楽器や録音機材などがすごく安い店だ。
「成田シティジャーナル」というネット上のメディアで「日本とユダヤのハーモニー」を長年連載されている。
ここにサウンドハウスの広告が載っているのに先日気づいて、どういう関係なのかと思っていた。
私よりもずっと年配の方を想像していたら、私と同年代ではないか。

(カタカナとひらがなのことは「第2部 〜日本語のルーツ」にある)


ヘブル文字とカタカナ・ひらがなの類似点について、どう判断するかが以前からの悩みの種だった。
古代イスラエルと日本の関係を長年研究されているユダヤ系米国人ラビ・マーヴィン・トケイヤー氏は、初めて来日した時にコカコーラの看板を見て、それを「ヘブル語で」読めてしまったという。
もちろん左右逆に読んでだが。
それだけ、カタカナがヘブル文字に意味も形も似ているということだ。
こういうことが偶然で起きる確率は?


カタカナとひらがなは、万葉仮名を元に作り出されたということが常識としてある。
だが、それで片付けてヘブル語との関係を無視するには、あまりにも似ている文字が多すぎる。
そうずっと思っていたところで、「日本とユダヤのハーモニー」の関連の記事を読んだ。
そこでは、万葉仮名とヘブル文字の両方を参照してカタカナとひらがなが考え出されたというようなことが書かれているではないか。
そのような発想はまったく思いつかなかったので、眼から鱗が落ちたような心境だった。
私はコンピュータ屋だということもあって、ものごとをつい0か1かでコンピュータ的に判断する癖がある。
だが、0でもなく1でもなく、その両方(0.5)という答えだってありなのだ。
中島氏の表現を借りると、ヘブル語を元に作られたことを悟られないように「カモフラージュ」して作られたということになるが。


古代イスラエル問題を考えるにあたって、そういう発想は非常に大切だろう。
たとえば私は以前に太秦広隆寺で、秦河勝氏の像に向かって「真実をお示しください」と祈った。
だが、そうですかと簡単に教えてくれるようなものではないのだろう。
秦氏ユダヤ教徒か原始基督教徒(または景教徒)だったとしても、そのことは一切秘密にされただろう。
仏教が日本に入ってきた時でさえ、あれだけ大騒ぎになったのだから。
西域発祥の得体のしれない宗教が入ってきたと知られたら、大変な反発があっただろう。


ヘブル文字とカタカナ・ひらがなを比較する場合に、ひとつ重要な点がある。
それは、ニクダー(nikkudim)という母音記号のことだ。
これが使われ始めた時期について調べてみたところ、諸説あるが、およそ7〜9世紀頃に考案されたものだという。
もし仮に古代の日本にイスラエル10支族の末裔が訪れたとして、まだニクダーというものが使用されていなかったのではないか。
もっとも、その起源をもっと遡ることができるとすれば、話は変わってくるが。


それから、根本的な前提として、比較する対象について考慮する必要があるということ。
たとえば、現代使われているヘブル文字とカタカナ・ひらがなを比較してみても意味がない。
ヘブル文字の変遷を調べる必要があるということだ。
10支族がイスラエルの地を離れてから、どのような文字を使ってきたか。
ヘブル文字やアラム文字の形は、次第に変わっていった。
そのことを考慮して、比較する対象を決めることが重要だろう。


それから、もしかすると「決定的な証拠」になるかもしれないというのが、「八咫鏡(やたのかがみ)」の件だ。
これについては、また別の機会に書いてみたい。
前述のユダヤ系米国人に、例の八咫鏡の画像を見てもらって、どう思うか質問中だ。
どういう答えが返ってくるか、楽しみだ。


※「神道ユダヤ教」の連載は、一応これで終わりです。


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