今日ハピズムに掲載された私の記事の話題を。
「くわばたりえ」って、TV見ないからよく知らないけれど、漫才コンビの片割れのようだ。
その人の息子が、お母さんの妊娠を言い当てて、生まれ来る子供の性別まで当てたという話。
胎教と出生前記憶についての記事を書いて、くわばた第二子妊娠の話題がタイムリーだったので記事に取り込んだもの。
Twitterのフォロワーさんたちに、お子さんたちの不思議な体験談を教えてもらって、面白い記事になった。
まずは、こちらの記事を読んでみてください。
- くわばたりえの長男が妊娠を予知 幼児の予知能力、胎内記憶に迫る
http://happism.cyzowoman.com/2013/05/post_2337.html
幼児の透視能力
くわばたさんの場合、2歳の息子が自分の弟/妹の妊娠を、両親が知る以前に母親に教えたというのが不思議なところ。
さらに、その子が女の子だということまで教えている。
現時点では、性別はまだわかっていないようだが、さてどうなるか。
2歳の子が、胎児が米粒ぐらいの大きさだとか、そんな知識はまだ持っていないはずだ。
そういう意味でも、すごい話だ。
だが、幼児がお母さんのお腹の中の胎児を「透視」するというのは、よくある話なのだ。
ところが、親が子供が言うことを真に受けずに聞き流したりすることが多いのだろうと思われる。
私は以前に、宮古島のカンカカリャ(シャーマン)二人に胎児の性別を言い当てられたことがあるが、その程度は簡単なことなのかもしれない。
胎児も超能力者
また、今回の記事では紹介できなかったが、胎児はお腹の中にいる頃から胎外の様子を「見る」ことができるらしい。
そのような記憶をもつ子供が非常に多いのだ。
なので、サルちゃんがお腹の中の龍矢にタイ語の絵本を読んで聞かせてあげていたことも、無駄なことではまったくないのだ。
タイ人たちは、ことさらに胎教
日本人が胎教と言う場合、多くは「英才教育」とかになりがちだ。
でも、本当に大切なのは、母子の「絆」をつくることなのだ。
そのことは、どんなに強調しても、しすぎになることはない。
今回のフォロワーさんの体験でもあるように、胎児は、胎内に(魂が)宿る前のことも覚えている。
神さまに「あの人がお母さんだよ」と教えてもらった子の場合は、自分で両親を選ばなかったケースのようだ。
子供たちが語る記憶が夢物語のようであっても、そこに「普遍性」がある場合が多いのだ。
もっとも、幼児でも歳を取るにつれて、自分の「創作」が入り込んでくることもあるようだ。
特に、子供に何か質問する時に、誘導尋問になってはいけない。
たとえば、「◯◯ちゃんは生まれる前にどこにいたの?」とか。
いかにも死後の世界…というか生前の世界があるという前提で語らせては、そのような記憶がなくても話を創作していってしまうかもしれない。
普遍性があるという意味では、私の学生の頃の友だちの話も興味深かった。
2人の男と1人の女が空の上(中間生?)で外界を見下ろして、生まれ来るのを待っていたという話。
こちらの記事で書いている。
- ある3人の男女の生まれる前の話
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20041207/umarerumae
ちなみに、上記の友だちの話では、自分たちが将来の両親を結びつける「キューピッド」の能力ももっていたという。
このことも、幼児たちが同じようなことを話すことが多いので、やはり「普遍性」があることなのかもしれない。
今回の記事では、下記の記事で書いたような自分の体験談も原稿に書いていたのだが、編集でカットされてしまった。^^;
赤ちゃんも超能力者
胎児と幼児が「エスパー」ならば、生まれたばかりの赤ちゃんがそうでないわけはない。
いつも書いていることだが、本来、魂には大人も赤ん坊もないのだ。
ただ能が発達していなかったりして言葉が話せなかったりするが、「意識」は大人とそう変わらないと思う。
だから、本当に伝えたいことがあれば、真心を込めて話せばわかってくれるかもしれない。
そのような目で自分の子供を見ていれば、扱い方も変わってくるかもしれない。
子供は親の「所有物」ではない。
たまさか親子として生まれて来たけれど、それは互いに学ぶべきことがあるためで、親が子供の人生を決める権利をもっているわけでもない。
その子供が生まれる前から定めていた目標や計画に沿った形で、子供を育ててあげる。
これこそが、真の親の役割だろう。
タイ人の親子関係
サルちゃんは、ことさらに胎教など教えなくても、すべて自分がやるべきことをわかっていたようだった。
いつも日本語とタイ語のミックスで、お腹の中の子供に話しかけていた。
そして、タイ語の絵本を読み聞かせてあげていた。
タイ人たちは本当に子煩悩で、みな子供を大切にし、かわいがる。
そういう子供を大切にする習慣というのは、じつは子供が胎内にいる頃から始まっているのかもしれない。
サルちゃんに聞いたところ、絵本を読んであげたりするのは、タイではみんなやっていることだと言う。
タイ仏教では、男性が人生のある時期に、一時的に出家する習慣がある。
それは誰もが絶対経験しなければならないわけではないが、多くの男性たちはその道を選択する。
なぜ僧侶になるのかと聞くと、多くの男性たちの答えは、「お母さんに徳を積ませてあげたいから」なのだという。
ここで説明が必要だろうが、タイの上座部仏教では女性は出家できないから、息子が母に代わって出家し修行を積むことによって、母がより良い来世を送れるようにしてあげるということなのだ。
なんだか涙が出てきそうな話だ。
そのくらい、タイ人たちは親を大切にする。
親が子供を大切にするから、子供も親を慕うのだろう。
このへんは、日本人として見習うべきことが多くあるように思う。
親の愛情と夫婦円満
記事の最後に書いたが、いちばん言いたかったことは、胎内からの親の「愛情」と、両親が喧嘩せず円満でいることが、その子が生まれて人生の道を歩んで行くにあたって、非常に重要な意味をもつということ。
たとえば、男の子がほしかったのに女の子だとわかって、母親ががっかりしたというケースなどでは、それが「トラウマ」となって子供が生まれてから精神的に悪影響が出てしまう。
胎児も超能力者だということを知れば、その理由は書かずともわかってもらえるだろう。
ちょっと話がそれるが、タイでは赤ちゃんの前で「重い」などと言ってはいけないという。
なぜなら、赤ちゃんが重くなってはいけないのだと思い、オッパイや離乳食をとらなくなるからだと。
乳児も大人の思念を読み取っているとすれば、このタイの風習もあながち迷信的なことでもないかもしれない。
子供への教育は、胎内からすでに始まっている。
教育といっても、親のエゴによるものであってはならず、あくまでも子供への愛情を注ぎ込むことにエネルギーが費やされるべきだろう。

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