これから風呂に入ろうと思ったけれど、日付が変わって4/12になって、日課となっている松原照子さんのブログ「幸福への近道」を見てみる。
今日の世見は、「どのような悩み事も出口がある」
ああ、わかる。
タイトルだけでわかる。
内容を読む必要はない?
だったら、読む前に書いてしまえ。
神さまは、人間に対して絶体絶命の袋小路には追い込まない。
というのも、この世は個々の人間が霊的成長をするために学ぶための学校だから。
カルマの法則は、罪と罰ではない。
人間たちは良い悪いとか勝手に決めて人生の出来事を判断するけれど、その人に起きる事はすべて「学び」のために用意されたカリキュラムであって、すべては「良いこと」なんです。
だから、「悩み事」というのも実はその人を困らせようという神さま・守護霊・守護神などのイヂワルではなくて、本人を良い方向へ進ませようという意図なんです。
…というようなことを、松原さんは、というか後ろにいる不思議な世界の人々は言いたいのではないか。
…と、ここまで書いたところで、世見を読んでみる。
あ、短い。^^;
もしも今、お心に悩み事を抱えておられるのであれば申し上げておきたいのですが、どのような出来事も出口があり八方塞はありません。
(松原照子、「幸福への近道」、2014/04/12より)
本当はみんな、いつも見られているんですよ。
良くも悪くも。
こちらからは見えないけれど、向こうはみんな見ている。
見られたくないことも。
うちもここ数年、金銭面のことなどで袋小路に来てしまったと何度も思っても、じつはギリギリのところで出口があった。
ああ、生かされてるんだなと、感謝の気持ちが湧いてくる。
スズさんが書いているけれど、陰徳を積むことは大切です。
「ためにする」であってはいけないのだけど。
ではそろそろ風呂に入るか。
あ、何か聞きたいことがあれば、いつでもコメントくださいね。
プライヴェイトなことならば、メールを送ってください。