今年もあと2週間。
1周間後にクリスマス。
2週間後に正月。
うわ、なんにもしない内に1年が過ぎてしまった。
50代は、あと4ヶ月ちょっとで終わる。
すでに人生の折り返し地点を回ったでしょうね。
若い頃に、もっと時間を大切に生きていけば良かったな。
でも、体力的には、あんまり変わらない。
1日1食にして、だいぶ体のキレが良くなった。
断食とかも、けっこう簡単じゃないかなと思えてきた。
今日は、松原照子さんの世見、2015年12月08日「パントテ カイレテ」を題材にする。
あ、まずその前に、「照の日記」を引用したい。
同じ日の12/8の「日本も」と題した日記の一節。
鍋料理は一人ではちょっぴりさみしいネ
誰かさんと鍋を突きたい。
(松原照子、ブログ「幸福への近道」)
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うちは鍋とか家族揃って大好きで、冬になると結構よくやる。
あとは、タイ版鍋であるタイスキとか、おでんとか、たこ焼きとかも。
龍矢と愛弥美も加わって、おばあちゃんも来て、みんなで食べるのが楽しい。
タイ人たちにとって、「みんなで何か食べて楽しくやる」のが人生で最大の楽しみのひとつ。
一人で食べても、どんなに高級な美味しいものを食べても、どこか寂しいよね。
こういう時、「家族」がいることの有り難さを心底感じる。
子供というのはみな、邪気がない。
サルちゃんも同じ。
嘘を付かないし、いつも明るく屈託ないし。
そういう子たちに囲まれているうちが、やっぱり最高の幸せなんだろうな。
幸せというのは、その中にいる間は、気づかない。
失って初めて、気づく。
でも、その時はもう遅すぎるんだよね。
「幸福への近道」は、いま、ここに、ある。
Be Here Now.
あ、長くなりすぎた。
本題の世見へ。
「パントテ カイレテ」でしたね。
なんのこっちゃって?
私が霊と云う言葉に抵抗を感じるのは、子供の頃から私のことを特別な思いで接してくれている不思議な世界の方々の存在が大きいと思います。
来年出版予定の「死後の世界」を書き始めて見ますと、私達が死後の世界を信じてやまないのは、この霊の世界あるからだと思います。
(松原照子、同上)
いまいち意味がわからないけれど…。
結局「不思議な世界の人々」も、”霊”に他ならないでしょうね。
アストラル次元の住人ということでしょう。
どの宗教も、人間が人らしく生きるための教えです。
「パントテ カイレテ」
今、このような声が聞こえました。
この意味はすぐにはわかりませんが、何故だか実行したくなりました。
「パントテ カイレテ」
勿論、何語かもわかりません。
しばし、クラシック音楽にポーっとしながら聴き入っていると、
「あなた方はいつも喜んでいなさい」
と、女性の声がしました。日本語です。
(松原照子、同上)
答えを言おうとしたら、松原さんが書いていた。
「パントテ カイレテ」というのは、新約聖書、テサロニケの信徒への手紙一の一節だ。
ギリシャ語で、「いつも(パントテ)喜んでいなさい(カイレテ)」の意味。
でも、なんで不思議な世界の人々が「いつも喜んでいなさい」と言うの?
それは、この世見が掲載された12月8日に関連するのかもしれない。
12月8日という日は、ローマ・カトリック教会では特別な日となっている。
聖母マリアが母である聖アンナの胎内に宿ったことを記念する「無原罪の聖マリアの祝日」なのだ。
だから何だというのか?
うーん、それ以上は、今は頭が回らない。
ハッ。
もしかして…。
「女性の声がしました」ということは、松原さんは、もしかして、聖母マリアの声を聞いた?
マリアさまが「いつも喜んでいなさい」と日本語で言った?
…だとしたら面白いけれど、どうでしょうね。
12月8日が、マリアさまにとって特別な日であることがわからないと、この謎は解けないでしょうね。
聖母の日本人へのメッセージ?
だとしたら、なぜ今?
やっぱりここで止まってしまう。
このフレーズが書かれた書簡は、パウロがテサロニケ人へ送ったものだという。
でも、いつも喜んでいることは、大切なことでしょうね。
人の世は、楽しいことばかりではない。
嫌なことがあれば、悲しみに打ちひしがれる。
でも、悲しみに浸りきっていないで、そういう時でも喜んでいなさいと?
今の世界は犯罪的というか、もう本当に嫌なことばかり。
若い人たちが厭世的になったって、無理もない。
そんな世界でも、喜んでいなさいというのか。
私が喜んでいられるのは、サルちゃんと子供たちと一緒にいる時。
温かい家族があることの喜び。
本当にお金には代えられない。
うちは経済的に最低限の暮らしをしているけれど、幸せは絶対的にある。
どんなにお金を払っても得られない人たちが多い中で、幸せといえるだろう。
家族とともにいる時だけは、喜んでいるのは簡単だ。
でも、自分たちだけが幸せになったって、なんにもならない。
世界ぜんたいが幸せにならないと…。
なんだっけ?
宮沢賢治の言葉。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
(宮沢賢治、農民芸術概論綱要)
そう、若い時に、この言葉を知ったとき、ガーンとくらって…。
この一言が私の人生を決めたといっても、言い過ぎではない。
それで今の私がある。
「自分の幸せなんて、どーでもいい」
そう思うようになった後で、本当の幸せを得られた。
放棄した後で得られるものもある。
でも、なんでマリア様なんだろうな?
たんなる、たまたま?
つれづれなるがままに書いていると、こんなになってしまいます。
この辺で終わります。
今日、けっこう冴えているかも。(^^)
※ルルドへも行きましたよ。
聖ベルナデッタとの出会いもありました。
聖母マリアさまにご縁があるのかな。
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