江戸時代末期の安政時代に、南海トラフ巨大地震と今でいう首都直下地震がダブルで襲い、さらに犠牲者が10万人ともいわれる風水害にも襲われたが、その後にはコレラの流行もあり、このような多重的な災害などが発生した際のことを日本でも想定しておくべきだろう。
「天下大変」の時代
この記事のネタは、今日3/15のJBpress『幕末の日本も経験した「大地震後のパンデミック」』という記事から発想を得た。
非常に由々しき問題だと思うのだ。
160~170年前の幕末の日本では、現在の状況と非常によく似た時期があった。
大地震や津波が各地に甚大な被害をもたらし、その傷が癒えぬまま、今度は大陸から入ってきた感染症(コレラ)のダブルパンチを受け、多くの人命が奪われた。
【黒潮大蛇行】1854年(開始・終了月不明)
1854/12/23:安政東海地震、M8.7、津波
1854/12/24:安政南海地震、M8.4、津波16m
1854/12/26:豊予海峡地震 - M7.3~M7.5、愛媛・大分
1855/11/11:安政江戸地震、M6.9~M7.4
1856/09/23:安政3年の大風災
1858/06~:安政コレラの流行
こうした天災などが連続し、「天下大変」と呼ばれた。
大災害の連続とコレラ流行
このことが何を意味するかというと、現代のわれわれにとっても非常に重要な要素が含まれている。
それは、まず安政の東海・南海の2連発と豊予海峡地震が、黒潮大蛇行の発生直後に発生したと思われることだ。
そして、大蛇行終息の翌年には、今でいうところの首都直下地震(南関東直下地震)である安政江戸地震が発生したこと。
加えて、安政江戸地震の翌年には「安政3年の大風災」が起こり、江戸の街一帯が暴風と高潮の被害を受けた。
さらに火災も多発し、一説では犠牲者が約100,000人と言われ、日本の風水害では過去最悪の被害となった。
だが、その2年後には、大地震の復興もままならなかった時に、それに輪をかけた出来事が起きた。
それが、外国から長崎に入ってきたコレラの流行で、同年7月には西日本を経て江戸にも伝わった。
そして、江戸だけで3万人の命が奪われたという。
石川県能登半島の地震と避難所
先日、東日本大震災9周年の直後の2020/03/13に、石川県能登地方でM5.5、最大震度5強の強い地震が発生した。
これを受けて、石川県では7カ所に避難所が開設されたという。
だが、3/13時点の報道では、避難者はいないという。
3/9の報道では、石川県では7人くらいの新型肺炎の感染者がいるという。
そのような人々が避難所を利用することにならなくて、不幸中の幸いだっただろう。
実は、東日本大震災の前年の2010年に、中米ハイチでも同様のことが起きていた。
2010/01/12に発生したハイチ地震(M7.0)では、22万人以上もの犠牲者が出てしまったが、災難はそれで終わりではなかった。
同年2010年10月にコレラの大流行が始まり、3千人以上の犠牲者が出た。
コレラのような感染症だけでなく、大地震が発生して日本が混乱状態にある時に、別の災害などに襲われるような二重の災難の可能性も、われわれは想定しておかなければならないだろう。
3月にまだ大地震が起きるか?
ヒプノセラピストマリアさんが、3月に大きな地震が起きると予見していて、この能登半島の地震では終わらないのではないかという。
実際に、これからより大規模な地震が発生すれば、避難所が開設され、新型コロナウイルス肺炎対策で大混乱になること必至だろう。
われわれは将来にかけて、巨大地震の被害を警戒するだけでなく、このようなパンデミックになるような感染症が流行することも警戒する必要がある。
これらがダブルで襲ってきたときには大参事なので、政府や地方自治体にも対策を期待したいところだ。