霊性に目覚めるには
世界の聖者たちが言っていることを総合すると、やはり人類全体が霊性に目覚めなければ地球の未来はないということのようだ。
では、霊性に目覚めるということは、どういうことだろうか。
まず一つには、「物の原理」から自由になるということがあるだろう。
この宇宙は、相反する二つの原理がバランスをとって成り立っている。
それは「物の原理」と「心の原理」だ。
中国では陰と陽、別の表現では宇宙の男性原理と女性原理。
物の原理が凝集の性質があるものならば、心の原理は拡散の性質。
今、この世界で何が問題なのかというと、単純化していえば、世界全体が物の原理に支配されていて、心の原理とのバランスが崩れていることによって、さまざまな問題が起きているということだろう。
物の原理にとらわれている人は、物質的欲望から自由になっていないということだ。
「お金が欲しい」、「金持ちになりたい」という我利我利亡者だ。
この物質世界に生まれてきた者ならば、誰でもある程度の欲望をもって生きている。それは自然なことだろう。
だが、人間という存在の多くは、10万の金を得れば、今度は100万欲しくなる。100万を得れば、こんどは1000万欲しくなる。
このように、物質への欲望にはきりがない。
イエス・キリストは、金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しいと言った。
インドの聖母アンマも、「財産を必要以上にたくさんもちすぎることは、ハゲ頭なのにクシをもち歩くようなもの」と言っている。
前述のS師は「ものを与えられ過ぎた人は馬鹿になるよ」とか、「財は罪だね」とまで言っている。
中学2年生の頃、まわりがみんな受験勉強を始めて、そのときに思ったことは、「いい高校に入って、大学に入って、いい会社に就職して…」という価値観が、根本的に間違いなのではないかということだった。
人間は物質的充足のためにこの世に生まれてくるのではないだろう。
「いい男と結婚したい」とか「美人になりたい」という人たちも、物の原理に支配されているかもしれない。
目に見える肉体を本当の自分だと錯覚して、本当のきれいさは内面の美しさが具現したものであることを知らない人がそう思うのかもしれないが。
見かけや性的相性で結婚相手を決めて、肉体的・性的な魅力だけで結びついた男女は、長くは続かないだろう。
いまの芸能界を見てみればわかる。もちろん例外もあるが。
心の原理に沿った生き方
では、物の原理に相反した「心の原理」に沿った生き方とは、どういうものだろうか。
一つには、自然界との調和を重視した生き方だろう。
それに、質素な生活、質素な食事。
そして、「足ることを知る」ということ。
心の原理に沿って生きるとは、つまりは、形あるものよりも見えないものに価値を見出すということだろう。
いまの世界では、形あるものしか信じない、価値を見出せない人が多すぎる。
それは、この世的な可視の現象世界だけが世界だと思っている科学万能主義の過ちでもある。
物の原理は、凝集の原理。
富を蓄えても、なおかつ「もっとよこせ、よこせ」と言っている人々。
凝集の原理とは、自我の肥大に向かう原理。
心の原理は、拡散の原理。愛の原理。
与えても、与えても、それでもまだ与えようとする、アンマは、まさに愛の具現のような存在だ。
心の原理とは、自我の消滅へ向かう原理だ。
物の原理にとらわれて生きている人々が思う「幸せ」とは、人類が本当に目指すところのものではないだろう。
多くの人々が求めている「幸せ」は、物質的充足の上に築かれるものだからだ。
この世界では、誰もがみな富を求めている。
だが、資源が限られた世界では、一部の人々がそれらを独占することは不合理なことだ。
たしかに、一生懸命働いた人間が多く報酬を得るというのは当然のことだろう。
だが、自分さえよければという考えを捨てられなければ、その人は霊的成長がストップしてしまった状態だといえる。
飢えている人々や天変地異で家財産を失った人々がいれば、援助の手を差し伸べるべきだろう。
人はみな、創造主、神仏、ご先祖さま、大自然の恩恵なしに生きられない。
それはどんな宗教を信仰しているかに関係ない。
自分からの自由。物からの自由。お金からの自由。
それが、今の人類にとって必要なことではないか。
そして、神さまと自分に正直になることが大切ではないだろうか。
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