探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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人類の未来(8)


人類は生き残れるか?

いままであまりにも暗くなるようなことばかり書いてきてしまったが、地球が生き残れるかどうかについては、必ずしも絶望的ではないと思う。
問題は、人類すべてが生き残れる保証はないということなのだ。
人類愛的レベルでは、大きな問題だ。
「霊性に目覚めない(目覚めようとしない)」人々を見殺しにはできないではないか。
ある情報源によれば、創造主から「いまの社会も、人類も、存在する価値がない」とまで言われてしまっている、この世界。
存在価値がないものは、滅ぼされても仕方がないではないか。
「破局の後の浄化」だとしたら、この宇宙全体からすると、あるいはこの地球にとっては良いことなのかもしれないが、人類にとっては好ましいことではない。
いまの地球には、魔的なものに支配された人々が多すぎるから、こういうことになってしまうのだ。

ここで、生き残ることができる・できないと言っているのは、たった1回だけの生涯についてではなく、魂が存続できるかどうかということだ。
物の原理にとらわれて「物そのもの」に落ちてしまった人々は、もう生まれ変わりも許されず、宇宙から消滅してしまうかもしれないという。
また、生き残ることができた魂も、非常に厳しい地球環境の中で生きていかざるを得なくなるかもしれない。
この宇宙に存在するもので意味がないことはないとしたら、天変地異は人類を霊性(spiritualiry)に目覚めさせるための刺激の針かもしれない。
あるいは、学習の場とも言えるだろう。
人類の危機といっても、それは「罪と罰」ではない。
「宇宙の意思」の対極的な目標は、決してネガティブな方向へ向かうものではないと信じている。

おわりに

いままで書いてきたことを信じる・信じない、受け入れる・受け入れないは、読まれる方々の自由だ。
私自身、自分が書いていることを信じてほしくて書いているのではなく、これをきかっけに、「無限なるもの」へ心を向ける時間をつくってほしいということなのだ。
私は聖者でもなんでもないので、私が書いていることを鵜呑みにしないでいただきたい。
この世に存在するものにはすべて意味があるとすれば、たとえばテレビのバラエティー番組の存在価値を否定したりはしない。
だが、これからの世界で、ひとりの人間の人生がどれだけ有意義なものだったかについては「本質的なもの」「無限なるもの」にどれだけ関わってきたかによって判断されるだろう。

自分の自我によって固められた固い殻から眺める世界は、歪んだものとして見えるだろうが、その殻を破ろうとする努力を続ければ、いつかその中から「ほんとうの自分」である真我が現れるかもしれない。
インドの「慈愛の聖母」アンマは、こう語っている。

「神のことを考える時間として、1日24時間のうち、ほんの1時間すら取っておくことができないとしたら、私たちの人生にいったいどんな意味があるというのでしょう。」
−マーター・アムリタ・ナンダマイー(アンマ)

上記のような人たちは、暗闇の中で手探りで人生という道を歩いているようなものだ。
自分がなぜこの世に生まれてきたかの本当の意味さえ知らずに(知ろうとせずに)生きているようなもの。
種族の保存や快楽の追求のためだけに生きているような人々は、動物とそう大きく変わらないかもしれない。
実際、チャクラの次元でいうと、低いところのチャクラ(たとえば臍下丹田のスワディスターナチャクラ)ほど「動物的次元」に近くなってきて、そういうところが物理的次元ででも動いている人々は、たとえば性欲が強かったりというように、動物的本能が強くなる傾向にある。
だが、人類は動物よりもっと霊的に進化した存在なのだ。
人類の目標は霊的進化を遂げることであって、種族の保存や個の存続ばかりが生きる目的になってしまっては、それこそ動物と変わらなくなってしまう。


この連載で書いたことは、特定の宗教思想を薦めるものではない。
宗教というものも、いったん団体ができてしまうと、物の原理に支配される。
教祖がいくら絶対を感得したところで、宗教団体が大きくなればなるほど、また年月が経つほど形骸化していき、「堕落」が始まる。
そして、そういう頃になると、そのような宗教の誤りを正すために、神は「神の子」を地球に生まれさせる。
世の中の新興宗教をすべて邪悪なものと決め付ける人々が、この国にはたくさんいる。
私から言わせると、無知も甚だしい。情報収集能力の欠如だ。
たしかに、日本にはおかしな宗教団体が多いから、そう思うのも無理はないかもしれない。
だが、キリスト教も仏教も、もとはといえば「新興宗教」だったのだ。
たしかに、いまの世界を見ていると、異なる宗教同士の争いによって戦争に発展したりしていて、世界に調和をもたらすはずの宗教が、逆に世界を乱している原因になっているように思える。
これから人類の進化が進み、国家というものがなくなってきて地球社会ができていって地球が一つになるのは歴史の必然だろう。
そうなってくると、宗教も特定の民族のためのものではなく、どんな人々にも受け入れることができるグローバルな世界宗教のようなものが必要になってくるだろう。

未来の地球にある程度の「破局」が訪れたとしても、それを乗り越えて生き残った人類が、霊的進化を経て地球がひとつになり、その後に「神の国」ができ…というのが創造主のシナリオであるらしいが、その後に地球はどうなるのだろうか。
それは、それこそ「神のみぞ知る」かもしれない。
【完】

※いままで書いてきたことは、私が三十数年間の宇宙の真理への探求の末に、いままで得てきた知識と経験に基づいたものです。
これは、あくまでも私がこう考えているということであり、また自分の考えていることが絶対に正しいとも思っていません。
あくまでも、みなさんに「自分で考える」機会を与えるためのものなので、そういうつもりで受け止めてください。
なお、この連載は将来私のWebサイトへ転載するなどの形を取る可能性があり、その場合はこちらを削除するかもしれません。

【参考文献】

  • ホピ的感覚−預言された「浄化の日」のメッセージ、小田原泰久、KKベストセラーズ、1995年
  • 宇宙心、鈴木美保子、明窓出版、2003年

【参考サイト】


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