この記事は、2005/04/15に投稿した記事を日付を変えて、加筆訂正して再掲したものです。
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勧善懲悪の世界観
小さい子たちがみんな好きな、アンパンマンについて。
うちの2歳9ヶ月の末娘(遥梛・はるな)も大好きで、つい昨日もアンパンマンの付録がついている『めばえ』を買ったら大喜びしていた。
アンパンマンを見ていて好感がもてるところは、正義の味方と悪役の境が曖昧だということ。
バイキンマンも、時にはアンパンマンたちと仲良くやってるし、子供たちも、きっとバイキンマンが大好きだろう。
勧善懲悪の世界というのは、ヘタすると、どこかウソくさいものになってしまう。
この世には、絶対的な善とか絶対的な悪なんてないんだということ。
アンパンマンなんて、どこがそんなにいいのかよくわからないが、かんたんに人間の命を奪ってしまうようなドラマや映画やマンガにはうんざりしているので、こういうマンガにはホッとする。
善の名のもとに人をあやめるなんて、もういいかげんにしてほしい。
『アンパンマンのマーチ』
ところで、アンパンマンの主題歌『アンパンマンのマーチ』のこと。
歌詞をそのまま書くと著作権法に抵触するので、要するにこういうことを言ってるんだということを言い換えて書くと…
何のためにこの世に生まれてきて
何をして生きるの?
そんなことも答えられないなんて
そんなのはイヤだ!
幸せってなに?
何をしたら嬉しいの?
それがわからないままで
人生を終わるなんてイヤだ!
なかなかいいこと言ってるじゃないかと思った。
「幸せ」イコール「欲望の充足」というのだったら、人生あまりにも悲しすぎる。
80年も100年も生きて、何のための人生と思ってしまう。
もちろん、作詞した原作者やなせたかしさんには、そういう意図はまったくないだろうが、スピリチュアルな読み解きをすると、そうなるという話。
歌の歌詞なんて、その人の思い入れによってどうにでも解釈できるし、芸術とはそういうものだろう。
空海の言葉
私がよく引用する弘法大師空海の名言で
生まれ 生まれ 生まれ 生まれて
生の始めに暗く
しに しに しに しんで
しの終わりに冥(くら)し
(「し」の漢字をひらがなにしている)
というのがあるけれど、アンパンマンマーチを聴いていると、なぜかこの空海の言葉を思い出すのだ。
生まれる前はどこから来て
何のために生まれてきて
しんだ後はどこへ行って
何のためにそれを繰り返すのか?
そんなことさえもわからないままに
一生を終わりたくはないですね、という話でした。
付記
…と、ここまで書いて終わるはずだったが…
いまネットで検索したら、アンパンマンの原作者のやなせたかしさんって、高知県出身だそうだ。
アンパンマンと空海なんて何気にタイトル付けてしまったけれど、弘法大師と同じ四国の人なんだ。
どこかで繋がっていたら面白いのだけど…。
もっと調べたら、あのよく知られた『手のひらを太陽に』も、やなせたかしさんの作詞だったんだって。
たしかに、どこか通じるところがあるな。両方ともマーチだし。
この2つの歌の歌詞、下記ページにあります。JASRACの承諾を得ているみたいで。
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/tenohirawotaiyouni.html
以前から『手のひらを太陽に』を聴く度に「ぼくらはみんな生きているって、それがどうした?」と思ったものだった。
だが、そういう意味でいうと、アンパンマンのマーチの方が人の道を教えてくれる?
こうして歌詞を読むと、哲学的内容が込められているとも取れて、あんまり子供向けの歌ではないな。
1961年にテレビ朝日で放映された頃の主題歌のサブタイトルが「We are not alone」って、どこかで聞いたことあるな(『未知との遭遇』のキャッチコピー)。
このフレーズ、スティーブン・スピルバーグよりも先に使っていたんだ。
この記事、何気に書いてしまったけれど、けっこう深くなってきたな。
続きを書こうかな。