探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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銚子聖地巡礼〜海の神々に呼ばれて?


2006/04/06(木)
常駐している品川の常駐先で残業禁止令が出て、休出も当分できない。
ということは、聖地巡礼や本の執筆の時間がもてるということ。
週末は聖地巡礼に行くべきか、マップダウジングで伺ってみる。
すると、銚子へ行くようにとの指示。
行き先は、銚子半島の東端にある2つの神社、川口神社と渡海神社(とかいじんじゃ)と出た。

銚子へ

2006/04/08(土)
前月3/22に、久々の聖地巡礼ということで、横浜へ行ったが、それに続く巡礼だ。
今日の目的地は、2日前にダウジングで指示された、川口神社と渡海神社。
両社とも、千葉県銚子市に鎮座し、初めて参拝するところだ。


8:20に家を出る。
9:40東京駅八重洲口発の高速バスに乗り込む。
銚子までの料金は2,500円。
携帯でMIXIにアクセスすると、かみんちゅネットワークで、沖縄のカミンチュー比嘉吉丸さんの祈りの呼びかけが書き込まれている。
今日15:00に、自然災害の沈静のため祈りを合わせてくださいとのこと。
15:00に、どちらかの神社または犬吠崎に居られるようにするよう、予定変更だ。


2時間後の11:45に、終点の東芝町銚子駅入口)で降りる。
最初の目的地である川口神社は、銚子の東端、利根川が流れ込む河口を見下ろす丘の上に鎮座する。
電車で行く場合は、JR銚子駅から銚子電鉄に乗り換え、3つ目の本銚子駅で降りて、1キロほど歩いたところにある。
銚子駅からバスも出ていて、川口行きに乗って「明神下」で降りる。


銚子駅へ行くと、12:12のバスがあって、12:14発の電車よりも早く着けそうなので、こちらで行くことにする。
小さなバスに乗り込み、15分ほど走ったところの「明神下」で降りる。
バスが走り去った方向には、漁港の風景が見える。
右手にある道を入っていき、1〜2分歩くと、川口神社の参道に出た。
港の前に鳥居があって、参道がずっと長く続いているようだ。
遠くで雷が鳴っている。
今日の天気予報では、午後に一時雨が降るとのことだった。
たしかに上空を見ると、黒雲が近づいてきつつある。

川口神社

石段を登りきったところに、川口神社があった。
境内は枯れた落ち葉が散在し、掃除があまりされていないようだ。
手水舎で手と口を清めていると、近くでガサガサと物音がする。
見ると、白い犬がいる。
お祈りする前に動物に触れると穢れるので、まずお祈りすることに。
いつものように、顕界と霊界・宇宙全体の調和と平和を祈り、この神社にお参りされる方々、近隣在住の方々の幸せを祈る。
そして、地震津波など自然災害の沈静の祈り。
2日前にダウジングをしたときに、聖地巡礼の目的を聞くのを忘れたが、自然災害の沈静ということで、まず間違いないだろう。



川口神社


祈りを終えて振り返ると、白い犬はまだ境内にいた。
もしも、たまたま居合わせただけの犬ならば、私が祈りを終える前にどこかへ行ってしまったかもしれない。
社務所の家があり、人が住んでいるようだが、飼い犬だろうか。
それにしては、首輪がないが。
この犬が、これまでの聖地巡礼でよく現れた「神遣い」かどうかは、なんともいえない。
ただ「白い犬」というのが、気になるところだ。

女神伝説

川口神社は、明治の初め頃までは『白神明神』と呼ばれていたという。
創建は寛和2年(986)といわれており、御祭神は速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト、『古事記』では「速秋津比売神」)となっている。
古事記日本書紀に登場する女神さまで、イザナギイザナミが国生みを終え、その後生んだ女神の一柱。
もともとは、河を司る神だ。


この神社が白神明神と呼ばれるようになった由来は、次のような伝説から来ている。
むかし、銚子の長者の娘に、延命姫という女性がいた。
姫は醜い容貌だったが、陰陽師安倍晴明と夫婦になった。
だが晴明は姫を嫌い、長者の家を逃げ出した。
追いかけて来た延命姫は、晴明を探して通蓮洞というところへ行ってみると、晴明が脱ぎ捨てた衣類とわらじがあった。
これは、自分が海に身を投げたと思わせる晴明の騙しの手段だった。
だが、それを知らない延命姫は、海に身を投げて死んだ。
その後、姫の歯や櫛が川口に流れ着いたが、土地の人たちがこの丘に埋め、祠を建てて歯櫛明神と名付けたという。
いまでは、櫛や鏡を納めて祈願すれば必ず美しくなり、神社で出す「あざ除け白粉」をつければ、あざが治るといわれている。


どうも聞いたことがあるような話だ。
海の女神が、かつて人間だった時に海に身を投げるという話は、弟橘媛の伝説を即座に思い出させる。
櫛が流れ着いたというところも、共通している。
インドネシア・ジャワ島にラトゥ・キドゥルと呼ばれる海の女神がいるが、その伝説でも、かつてカディタ姫という王女だったが、らい病で醜い姿になり、海に身を投げたという伝説が残っている。
両者の伝説に関連性があるとは思いがたいが、この共通点は面白いところだ。


だいたいからして、安倍晴明が関東各地を転々としたとか、弘法大師空海が全国各地を回ったとか、その手の話はそう易々と信じてしまってはいけないものと思っているが、どうなのか。
陰陽道とか安倍晴明が好きな方は、ちょっと探求してみてはいかが?
祭神は速秋津姫命となっているが、上記のような伝説があるということは、昔は別の御祭神だったのだろうか。
祈るときに「速秋津姫命さまの御神徳を賜りまして…」と唱えていたが、途中でそのことに気づく。

やっぱり神遣い?

話が長くなったが、白神明神というのは、それ以前は『歯櫛明神(はくしみょうじん)』と呼ばれていたのが、『白紙神社』になり、『白神明神』に落ち着いたらしい。
延命姫の歯と櫛が流れ着いたという伝説から、「歯櫛(はくし)」が「白紙(はくし)」になり、最後に「白神(はくしん)」に転化したというわけだ。
要するに、昔の人々の語呂合わせだ。
「白神だから『神遣い』として白い犬が現れたのか」などと考えてしまうが、たまたまそうだっただけかもしれない。



川口神社に現れた「お犬さま」


それにしても、この犬、非常に意思的な表情をしている。
そんじょそこらの犬じゃないといった趣だ。
神社で白い犬が現れたということは、やはり神遣いと考えるべきだろうか。
判断に迷うところだ。
境内の写真を撮ったりしているうちに、例の犬はどこかへ行ってしまった。


【地図】川口神社
map:x140.8555y35.7383


川口神社を出て、3分ほど歩いた頃に、路上で犬が歩いているのを見た。
この犬は白くはないが、首輪がなく、飼い犬かどうかわからない。
犬といえば、この日の最後の目的地は、「犬吠崎」だ。
どうも今日は「犬の日」らしい。
ぜんぜん関係ないが、そういえば今年は犬年だ。
お犬なにさま、お犬さま。


じつは、この日の巡礼の最中に、犬吠崎の地名の由来をあれこれ推測していた。
荒波が立てる音が、犬が吼える声に似ているからではないか、とか。
だが、波の音が犬の吼え声には、どう聞いても聞こえないだろう。
それから、犬吠崎を上空から眺めると、ちょうど犬が吼える時の口元に似ているから、とか。
地図を眺めていて思いついたのだが、考えてみると昔の人が上空からの形を知る術はないからダメだとか。


あとでネットで検索して、面白い話を見つけた。
銚子には、源義経にまつわる伝説がある。
犬若浦という海岸には、「犬岩」という岩がある。
義経が頼朝に追われて奥州に逃れる時、海辺に残された愛犬が主人を慕って7日間泣き続け、ついに岩になったという。
犬吠崎の地名は、この愛犬が吠える声がこの地まで届いたことに由来するという。
下記のページの写真を見ると、たしかに犬の形に見える。
だが、この手の伝説は、まず犬に似た岩があって、それに説明をつけるように、もっともらしい話がつくられていったというのが真相ではないか。
http://www.choshikanko.com/100sen/data/0018.html

雷雨の中で

時計を見ると、13:00。
これから銚子電鉄に乗って、終点の外川(とかわ)へ行かなければならない。
電車の時刻は13:14。
1キロの道のりを、足早に歩く。
いつものように聖地巡礼中は断食なので、ちょっときつい。
本銚子駅の近くまで来て、電車が入船する音がする。
あと1分というところで、間に合わなかった。
次の電車は、30分後。
1分の遅れによって30分待たなければならないということは、気が短い私にとっては、かなりの損失だ。
無人駅で、一人待つ。
15分ほどして、雷鳴とともに大雨が降ってくる。
いつものことながら、タイミングが良い。
近くで雷が落ちる音がする。


考えてみると、先ほど乗り過ごした電車に乗っても、15分後に外川駅で降りたら、傘をもっているにしても、すごく濡れていたことだろう。
神社でのお祈りもままならない。
こういうところの行動まで、もしかしたら「コントロール」されているのか…。
レトロな雰囲気を漂わせる1両だけのワンマン電車は、犬吠崎の海辺に沿って走る。
駅舎も凝っていて、鉄道マニアには人気があるらしい。
途中で犬吠崎の灯台が見えた。
14:05に終点の外川駅で降りる。
この駅舎は、大正12年(1923年)の開業当初のものらしい。
NHK朝の連続ドラマ「澪つくし」(1985年)では、主人公の通学などのシーンで撮影されたことがあるようだ。
構内に、そのときの写真パネルなどが飾られている。

渡海神社

まだ雨が降り続く中を、1キロほど先の渡海神社へ向かって歩き出す。
海を横に眺めながら15分ほど歩き、渡海(とかい)神社に着く。
この神社も歴史が古く、大綿津見命(おおわだつみのみこと)を祭神として、709年に創建されたという。
この神社の森は極相林(きょくそうりん)といって、非常に貴重な存在らしく、県の天然記念物に指定されている。
極相林とは、松林などが次々に枯れ、その後にシイ・タブ・ツバキなどが発芽し成長して、林が陽樹林から陰樹林へと変わっていった状態をいう。


ここは無人の神社のようだ。
拝殿の屋根がある程度深いので、傘をたたんで、なんとか塗れずに祈ることができそうだ。
賽銭箱の上に置かれた「しおり 30円」と書かれたものを1部いただく。
それを見ると、御祭神は「猿田彦大神」と「綿津見大神(オオワダツミノオオカミ)」の「相殿」となっている。
事前にWebで調べた段階では、綿津見大神だけかと思っていたが。
まず、世界平和の祈りと、近隣住民の幸せを祈る。
そして、15時から、自然災害沈静のためのお祈りをさせていただきます、と。



渡海神社

雨の恩恵ふたたび

5分ほど祈って、うしろを振り向くと…。
雨は…やんでいる。
空が少し明るくなってきている。
よくあることとはいえ、ただただ有難いことだ。
たった5分かそこらの間に、あれだけ降っていた雨をやませていただいた。
拝殿に向かって「ありがとうございます」と手を合わせる。
聖地巡礼からしばらく遠ざかっていても、神々は私を見捨てずにいてくださる。


時計を見ると、14:30。
祈りの時間まで、あと30分ある。
晴れてきた境内で、写真を撮ったりする。
境内には、お稲荷さんの祠もある。
狐の置物がたくさん置かれている。
ここで写真を撮っても良いかどうか、伺おうとして、ペンデュラムをもってくるのを忘れたことに気が付く。
写真を撮らない方が良さそうな気がする。


15時になり、祈りを始める。
地震津波の大難を小難に振り替えていただき、また戦争が起こりませんように、とも。
いつものように、眉間のアジナチャクラに意識を集中させる。
とても深いところへ入っていくような感じがする。
豊かな自然に恵まれたところには、鎮座する神々の力も強まるのだろうか。
祈っていて、意識が飛びそうになる。
プチトランス状態だ。


10分ほどして、祈りを終える。
最後に、声を上げて、こう唱える。
「祓い給え 清め給え。 守り給え 幸ひ給え」と、3回繰り返す。



いま、この原稿を書いている途中で、ハッと思い出す。
渡海神社の御祭神である綿津見大神は、あの玉依姫の父神だ。
昨年2005年10月10日に、この近くの香取郡東庄町の東大社聖地巡礼したが、そこの御祭神玉依姫だった。↓
[霊性]千葉聖地巡礼玉依姫猿田彦
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20051010/chiba
なんとその時も、有難い「雨の恩恵」をいただいていたのだった。
やはり、この父娘の二神に、何かしらのご縁があるのだろうか。


【地図】渡海神社
map:x140.8477y35.7068

犬吠崎

祈りをして、なにか満たされた感じがする。
神様からパワーをいただいたようだ。
外川駅に戻り、銚子行きの電車に乗り、隣の犬吠駅で降りる。
10分ほど歩くと、犬吠崎の灯台前に着く。
灯台の裏は遊歩道になっている。
太平洋の絶景を得られる、素晴らしい眺めだ。
犬吠崎は、関東の最東端にある。
むかしの人たちは、この東の地の果ての海の彼方に「常世(とこよ)の国」を想ったのだろうか。
信仰する宇宙創造の神に祈る。
地震津波などの自然災害を、大難を小難に振り替えてくださいと。



犬吠崎


犬吠崎から歩いて5分ほどのところにある、京成ホテルへ行く。
ここの前から、東京駅行きの高速バスが出ている。
16:30発のバスに乗り込む。
料金は2,800円だ。


「冬眠」から覚めて、また聖地巡礼の季節が到来だ。
聖地巡礼をしないと、心が落ち着かない。
百瀬直也という人間から聖地巡礼を取ったら、何も残らない。
自分の本務である「すべきこと」をしないと、神仏も助けてくれない。
本務を果たしているときには、いわゆる「現世的な苦労」を一部免除されるのではないかと思っている。
神仏に操られているというか、何かしらのお役目をもっている人は、みんな気づいていることではないか。

長年、聖地巡礼を続けてきて、思うこと。
聖地巡礼とは、何かを求めてやってはいけないこと。
「ためにする」ものではない。
何かを得ようとしてやってはいけないが、聖地巡礼を続けるうちに、得られるものが必ずある。
だが、その「得られるもの」を期待してやってはいけないということだ。
聖地巡礼をすることを、読者の方々に強く薦める。

聖地巡礼は、自分との対話の機会でもある。
巡礼するときには、たくさん歩かされるが、それは深い思索をする機会でもある。

豊かな自然の中を歩きながら、そんなことを考えていた。

付記

ちょうどこの巡礼をしている最中、茨城県沖で地震があった。

発生時刻 2006年4月8日 14時53分ごろ
震源茨城県
緯度 北緯36.7度
経度 東経141.0度
深さ 40km
規模 マグニチュード 3.9

それほど大きな地震ではないが、ちょうど吉丸さんの呼びかけで15時の祈りを始める直前だった。
こういうことが続くと、また「百瀬さんが巡礼をすると地震が起きる」と言われそうだな。^^;


【参考サイト】


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