2007/04/29(日)〜05/02(水)の3泊4日で、家族3人で京都・奈良を旅した。
今年のGWは9連休という願ってもない長期休暇が実現し、その前半を利用した。
京都と奈良に決まったのは、いつもながらのマップダウジングによるもの。
このブログを愛読してくださっている方はご承知の通り、私は聖地巡礼と称して世界・全国各地を廻っているが、その9割以上は自分の意志によって行き先を決めるものではない。
「後ろについている存在」の指示によって決まるのだ。
今回京都と奈良に決まったいきさつは、下記の記事で書いている。
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20070405/nara
今回は「聖地巡礼」というには、あまりにもスカスカな日程なので、言うのをはばかられるだろう。
そのメインの目的は、日頃家事でストレスがたまっていそうな家内と、入ったばかりの幼稚園でストレスがたまっていそうな3歳のゆうちゃんのための家族旅行だ。
もちろん、私にとっては例えスカスカでも聖地巡礼にはかわりないが。
短い期間中にも、神遣い(?)が出現したり、おみくじが連続して凶や大吉が出たなど、いろいろ面白いことがあった。
諏訪神社のご縁か
今年正月には、大晦日に諏訪から京都へ移動して、正月三が日は京都各地を聖地巡礼した。
この時は、例外的に、マップダウジングの指示によるところではない神社に1箇所だけお参りした。
それは、京都市に諏訪神社がどこかにないかとネットで調べた結果に見つけた、小さな諏訪神社だ。
地下鉄烏丸線の五条駅で降りてすぐの諏訪町通にある諏訪神社(諏訪町通五条下る下諏訪町351)。
神社とはいっても、民家と民家の間の狭い敷地に祠があるだけのようなところ。
今回の旅では、地下鉄烏丸線四条駅から徒歩5分ほどの、蛸薬師通にある平新という旅館に泊まった。
知名度は低いが施設は新しく価格もリーズナブルで、錦小路や寺町通のすぐ近くという立地にも恵まれている宿だ。
実はこの宿、家内がYahooトラベルのサイトで見つけたものだが、そこに「見えない力」が働いたのではないかという節がある。
まず一つには、上記の諏訪神社からそう遠くない(北へ1Kmほどのところ)ということ。
もう一つは、蛸薬師通をへだてた旅館の向かいの町名が「御射山町(みさやまちょう)」であること。
御射山といえば、信濃の諏訪大社でもっとも重要な祭事である御射山祭から来ているのではないかと推測していた。
その後、ブログのコメントである人に教えてもらったことだが、御射山町は江戸時代後期までは「すわの丁」「諏訪の町」と呼ばれていて、現町名の由来は、祇園祭の山鉾巡行で、かつては御射山という山鉾を出したことによるという。
今回のGWでは、当初は5/3〜5/6の3泊4日の旅を予定していた。
だが、5/1と5/2も休めることになり、4/29〜5/2に急遽変更したのだ。
予約していた平新で上記の期間をネット上で探したところ、1部屋も空いていなかった。
その翌日、再度宿を探してみると、平新に空きが出ているではないか。
というわけで、再び平新に泊まれることになったことにも、何か見えないところで力が働いているのだろうか。
私は1956年の申年5月5日生まれで、父方のルーツの地である諏訪ではその日、御柱祭の里曳祭の真っ最中だったという「御柱男」だ。
そして、実は家内も寅年生まれ(4月)で、これまた御柱祭の最中に生まれているのだ。
家内は北海道生まれだが、もしかしたら過去生のどこかで諏訪大明神とのご縁があるのかもしれない。
実は、御射山町付近の東洞院三条南に諏訪神社があるという情報をネット上で得たのだが、今回探してみたところ、見つけることができなかった。
下記ページ上にその記述があるのだが、何かの間違いなのか。
http://www.interq.or.jp/silver/suwa7777/suwasinnkou%201.htm
平新では4階の北向きの部屋で、向かいにある御射山公園という児童公園を見下ろすところ。
緑の中を、すぐ近くの小学校帰りの子供たちが遊んでいた。
2007/04/29(日)
朝、新幹線で東京から京都へ移動して、午後は東映太秦(うずまさ)映画村へ。
そのため、この日は聖地巡礼はなし。
かつて渡来氏族・秦氏の本拠地であった太秦(にあるこのテーマパークは、東映の京都撮影所の一部を公開したものだ。
ここで今でも時代劇の撮影が行われているが、小さな子供たちにとっての憧れの的でもある。
仮面ライダーやゲキレンジャーなどのスーパー戦隊シリーズの等身大の人形や、撮影で使われたバイクなどが展示されているのだ。
ゲキレンジャーのショウを入場券だけで見ることができるほかに、仮面ライダー電王やプリキュアとの握手会などもある。
ゆうちゃんは大喜びだった。
http://www.eigamura30.com/index.shtml
2007/04/30(月):奈良
この日は1日、奈良巡礼だ。
当初は春日大社、東大寺、法隆寺を廻るという指示だったが、息子が風邪気味なので無理しないようにと、法隆寺は中止させてもらうことに。
9:00頃に平新を出て、四条駅から烏丸線で京都駅へ行き、そこから近鉄線の特急で奈良へ。
GW中だが、その場で指定を取ることができた。
息子が喜びそうな二階建ての車両で、35分で近鉄奈良駅に着く。
近鉄奈良駅から5分ほどバスに乗り、東大寺大仏殿前で降りる。
広大な奈良公園の中で、鹿せんべいというのを買って鹿にあげて、ゆうちゃんは大はしゃぎ。
公園の中を歩き、大仏殿に着く。
ここを訪れたのは、なんと中学校の修学旅行以来だ。
北は北海道から南は沖縄・九州と各地を聖地巡礼させられている人間なのに、なぜか奈良は今までまったく指示がなかった。
奈良といえば、かつては出雲神族が祭祀した三輪山をはじめとして、出雲族が住む地だった。
というか、天孫族が渡来するまでは、本土のほとんどに出雲族は拡散していたのだろうが。
今回の巡礼の祈りの目的は、「民族のカルマ解消」とのこと。
出雲族が先住民(縄文人=アイヌの祖先)を統合していったときには、多少の戦いはあったのだろうが、比較的ゆるやかな形で進んでいったのではないかと推測する。
だが、天孫族との場合は、そうはいかなかったろう。
「国譲り」などというと聞こえはいいが、本当のところは血なまぐさい侵略だったのではないか。
東大寺
東大寺は華厳宗大本山で、8世紀前半に前身となる寺院が建立された。
1998年に奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界文化遺産に登録された。
大仏殿に入り、一般に大仏と呼ばれる盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)の前で祈る。
親子で神社仏閣を訪れるのは頻繁にあることなので、息子も心得たものだ。
何も言わなくても、パンパンと拍手を打って、ウルトラマンのおもちゃをくださいとお願いしている。
(ここは神社ではないし、仏さまではなく神さまと呼ばせているが、3歳の子供だから許してもらえるだろう)
私は、いつものように世界・宇宙全体の平和と調和をまず祈る。
そして、このお寺にお参りする方々や檀家の方々がすべて幸せになり、皆が成り立つ結果になりますようにと。
次に、今回の目的である祈り。
「かつてこの地で民族間の戦いがありましたならば、顕界霊界ともども人々の恨みの念が消え、平和な世の中になりますように。皆が成り立つ結果にお導きくださいますよう、よろしくお願い致します」
続いて、地震沈静の祈りも行う。
ゆうちゃんは、柱の下にある穴をくぐるために家内と行列に並ぶ。
最初はイヤだと言っていたが、順番が廻ってくると文句を言わずにくぐって写真に収まり、「もういっかいする」。
大仏殿の売店で、3人でおみくじを引く。
私は、46番の「凶」
家内は、1番の「大吉」
作務衣を着た人から、「1番は滅多に出ないんです」と言われたとか。
ゆうちゃんは、7番の「凶」
いつもは父子そろって大吉ということも少なくないのに、揃って凶とは…。
売店のおみくじの場所のところには「凶は人間を原点に戻す戒(いましめ)」と書かれていた。
なるほどと納得。
だが「旅立ち:悪し」は、幸先が悪い。
売店で、東大寺のガイドブック700円を買って、千円札を渡す。
大仏殿を出て200〜300メートルほど歩いて中門を出たところで、本を売っていたので立ち読みしていると、さきほどガイドブックを購入したときの作務衣の男性が追いかけてきた。
おつりをもらうのを忘れてしまったのだ。
「わざわざ遠くまでありがとうございます」と私。
とんだ失敗だ。これも「凶」の内か。
春日大社
東大寺から次の目的地、春日大社へ向かう。
同じ奈良公園の敷地内にあるのだが、とにかく敷地が広いのだ。
鹿が遊ぶ中を、延々と歩き続ける。
外は炎天下で、東京でいえば6月〜7月頃の気候だろう。
30分以上歩いて、やっと春日大社本殿の前に着く。
春日大社は私にとっても初めての参拝だ。
奈良時代の神護景雲2年(768)に創建され、藤原氏の氏神として知られる。
東大寺と同様、世界文化遺産に登録されている。
第一殿の御祭神である武甕槌命(タケミカヅチのミコト)は、茨城県の鹿島神宮からを勧請された。
第二殿の経津主命(フツヌシのミコト)は、千葉県の香取神宮から。
第三殿の天児屋根命(アメノコヤネのミコト)、そして第四殿の比売神(ヒメガミ)は、大阪府の枚岡(ひらおか)神社から勧請された。
上記3社は、すべて私が巡礼したことのある神社ばかりだ。
枚岡神社に巡礼したのが、つい2月前の3月だったことを考えると、その直後に春日大社にお参りさせられたことも、なんとなくわかってくるような気がする。
春日大社では御神体がなく、背後にそびえる御蓋山(みかさやま)が御神体とされている。
山を御神体とするのは、たとえば三輪神社や諏訪大社のような、かつては出雲族が祭祀しただろうという神社だ。
この春日大社も、かつては出雲族にとっての聖地だったのだろうか。
本殿の境内では、ちょうど藤の花が美しく咲いている。
ここでも、東大寺のときと同じ祈りを捧げる。
おみくじが…
私がいつものように長い祈りをする間、家内と息子は既におみくじを引いていた。
家内は東大寺に続いて「大吉」。
そして、さきほどは凶だった息子も、今度は「大吉」
次に私が引くと、5番。またまた「凶」だ。
「旅行:病難盗難注意せよ」とある。
「病気:重し医師に頼め」とも。
凶を引いたことなど、いままでの人生50年で、片手で数えられる程度だろう。
21世紀に入って記録している限りでは、浅草寺と川崎大師でしか引いていない。
どちらとも、凶を入れている割合が普通よりも多い(全体の30%前後)と言われているところだ。
1日に二度も凶を引いたことなど、間違いなく生まれて初めてのことだ。
良かれと思ってやっている聖地巡礼で、このような結果になるとは、尋常なことではないだろう。
考えてみると、この手の祈り、つまり民族のカルマ解消の祈りをした神社仏閣でおみくじを引いて、大吉が出たためしがない(忘れているだけで、一度や二度はあったかもしれない)。
こんなことをして、どんな禍があるかもしれない。
天孫系や出雲系の神々をわざわざ怒らせているようなものだ。
自分の身の上に何が起きようと、たとえ死のうと構わないという気持でやっている。
格好つけるわけではないが、本当に死ぬことも怖くなければ、たとえ神々を敵に回す結果になっても仕方ないと思っている。
いつか自分の良心が通じる日が来ることを信じているので。
それにしても…、家内が連続で大吉で、私が連続で凶。
ゆうちゃんは、凶から大吉へと「リベンジ」したが。
一体、この極端なコントラストは何なのか。
神遣い現る(?)
境内を出ようとしたところで、家内が「あっ、ヤモリ…」
前方の門の脇の、旧年のお札を納めるところの下に、サササッとトカゲのようなものが入っていったのが見えた。
体調5センチほどで、胴体が虹色に輝いていたような気がした。
家内はいまだに守宮(やもり)とトカゲの違いがよくわかっていないようだ。
私の聖地巡礼記をよく読んでくださっている方ならばおわかりのように、私の巡礼ではよくあるパターンなのだ。
竜神系とか出雲神系の神々が祀られた神社で特に、爬虫類系の「神遣い」と思われる存在が現れることが多いのだ。
そして、家内と一緒のときには、例外なく家内がそれを見つける。
家内に言わせると、私は「視野が狭い」という。
とすると、一人で巡礼しているときで、このような神遣いが現れていても、見逃していたことが少なくなかったのかもしれない。
果たして、あのトカゲは私に対して現れたものなのだろうか。
もしそうだとしたならば、もう一度行ってみれば、再度出現してくれるのではないか。
境内を出た後で、ビデオを撮ることを忘れていたので、二人を待たせて、再度境内に入る。
一通り境内をビデオで撮った後で、さきほどトカゲが現れたところにカメラを向ける。
すると、予想通りというか、さきほどのトカゲが頭だけ出してこちらの方を見ている。
まるで、私がビデオを撮るのを待っているかのように、ジッとして動かない。
ズームアップして10秒間ほどカメラに収めた後で、トカゲは満足したように(?)、サササッとどこかへ消えていった。
いままで「神遣い」を写真に収めたことはあったが、ビデオによる「証拠物件」は、これが初めてだ。
早速、YouTubeで公開した。↓
http://youtube.com/watch?v=N0OycW7mpoU
息子が風邪気味なので、これで京都へ戻ることにする。
バスで近鉄奈良駅へ行き、近鉄特急で京都へ。
2007/05/01(火):京都
天気予報では、あいにくの雨。
朝から小雨が降り続いている。
平新は特に問題がない良い旅館だが、ひとつだけ難点をいえば、室内が乾燥しすぎること。
また夜も暑かったので冷房を入れたところ、ゆうちゃんに続いて家内も風邪を引いてしまったようだ。
近くの寺町通や新京極のゲームセンターで息子のおもちゃを取ったりして、半日を過ごす。
六角堂(頂法寺)
昼食を済ませた後で、二人を旅館に残して一人で近場を巡礼することに。
目的地は、御射山町のすぐ北にある六角通にある六角堂。
小雨が降る中、傘を差して旅館を出て、3分ほどのところにある。
正式には紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)といい、本堂を上から見ると六角形なのでこの呼称がある。
794年(延暦13年)の平安遷都以前の創建といわれる。
伝承では、聖徳太子が四天王寺の建立のための用材を求めて当地を訪れた際、池で水浴中に木にかけておいた持仏の如意輪観音が離れなくなった。
夢のお告げで、その観音がこの地に留まって衆生済度を希望したため、観音像をここに安置して六角形の堂を建立したのが始まりという。
西国十八番礼所でもある。
聖徳太子など本当は存在しなかったのだという学者がいるくらいで、伝説的な存在であるのに、果たして本当に現在の京都の地を訪れたのだろうかという疑問は残る。
だが、その後に造営された平安京というのは、かつては秦氏が所有する土地だったことを考えると、秦河勝と交友があった聖徳太子がこの地を訪れたということは、可能性としてはあるかもしれない。
また、浄土真宗の開祖となった親鸞は、建仁元年(1201年)、29歳のときに、この六角堂に日参して救世観音に祈念し、95日目に救世観音(聖徳太子)が夢に現れたという。
六角堂はまた、生け花の発祥の地でもあり、この寺には池坊の本部ビルが隣接している。↓
http://www.ikenobo.jp/ikebanaikenobo/rokkakudo/index.html
雨の中を、お参りする。
六角形の本堂の中央には、本尊とされる太子の護持仏といわれる如意輪観世音菩薩がある。
その左には聖徳太子、そして右手には見真大師(親鸞聖人)が祀られている。
ここでも、民族のカルマ解消の祈りをする。
祈っていると、左手から一陣の冷たい風が吹く。
このような祈りをしていて深いところに達したと思うときによく起きることなのだが、たまたまなのかもしれない。
そして、聖徳太子に「どうかわれわれに歴史の真実をお示しください」と祈る。
雨が…
祈りが終った後で後ろを振り向くと、なんと先ほどまで降っていた雨がやんでいる。
時計を見ると、14:00頃。
たった5分か10分ほどの間のことだった。
さきほどの一陣の風が吹いたあたりで、やんだのかもしれない。
これは、偶然のことなのか、それとも…。
私の聖地巡礼では、これも「よくあるパターン」なのだが。
この日は、その後も雨は降らなかった。
これも「たまたま」雨がやんだ時が一致したのか、意味があることなのか、判断がむずかしいところだ。
自販機のおみくじを引いてみる。
出たのは、16番の「吉」
「此みくじにあふ人は心正しければ立身の時を得たりとす 心たてあしき人はかへって事のあらはるるきざし也 天道をまつり後日を待ちてよし」
なんとなく、ほっとする。
前日に、おみくじで凶が続けて出た後だったので。
京都は、生まれてから8回前後訪れているが、良いことよりも悪いことの方が多かったような気がする。
過去生の行いの結果なのか。
良くも悪くも、過去に深い縁があったところだろうと思う。
聖徳太子といえば、廐戸皇子(うまやどのみこ)の名のとおり、馬屋で生まれたといわれ、キリスト伝承が見え隠れする。
亡くなったのが2月22日というのも、新暦に換算して復活祭を意識しての創作なのかもしれない。
これは、聖徳太子のブレーンであり秦氏の長であった秦河勝あたりの「入れ知恵」なのかもしれないが。
梅原猛は、著書「梅原猛の世界」の中で「六角堂と太子信仰」について述べていて、六角堂の中に「隠された十字架」を見たといっているとか。
そういえば、親鸞の教えにも聖書の影響が見られるという説もある。
もしそうだとすれば、聖徳太子−親鸞−秦氏がこの六角堂とキリスト教で見事に結びつくではないか。
もっとも、これについては更なる調査が必要だが。
2007/05/02(水):京都
京都の旅の最終日。
16:32の新幹線まで、時間がある。
息子のために、「嵐山モンキーパークいわたやま」へ行ってみることにする。
野生のサル150頭が生息し、岩田山の頂上には餌付けの施設がある。
10:00前に宿をチェックアウトし、阪急電車で嵐山へ。
嵐山駅から山を目指して歩き、渡月橋を渡る手前で左へ曲がる。
ちょっと歩くと、檪谷宗像神社の石段があり、その神社の境内にモンキーパークの入口がある。
阪急嵐山駅から徒歩7〜8分だ。
檪谷宗像神社(いちいだに・むなかたじんじゃ)
この神社にお参りすることは、当初は予定にはまったくなかった。
たまたま、モンキーパークの入口に神社があるから、お参りしようかということだったのだ。
だが、帰宅後にネットで調べて驚いたことがある。
この小さな神社、あの松尾大社の境外摂社だというのだ。
松尾大社といえば京都最古の神社で、秦氏が氏神として祀ったところだ。
この社は二社同殿となっていて、御祭神は櫟谷神社が奥津島姫命(おくつしまひめのみこと)、宗像神社が市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)だ。
元々は独立した社殿があり、櫟谷神社の方は延喜式内社という由緒ある神社なのだ。↓
http://www.kamimoude.org/jinjya/kyoto-city/nishikyou/ni-ichiidani/index.html
松尾大社といえば、2002年5月に今の家内と二人で訪れて、二人ともおみくじで大吉が出たところだ。
今年の正月にも二度目の巡礼をした。
私自身、秦氏とは大いに縁がありそうなのだ。
この檪谷宗像神社にお参りすることになったのも、もしかして「お導き」なのだろうか。
モンキーパーク入口で入園料一人520円を払う。
標高150メートルほどの岩田山の頂上まで、きつい傾斜の登山が待っている。
3歳の息子にはかなりきついだろう。
また、家内は生まれつき心臓に問題があり、激しい運動を禁じられている。
これほどきつい山登りがあるとは、モンキーパークのHPでも書かれていなかった。
しかも、家内と息子は揃って風邪気味。
家族には大ヒンシュクものだった。
だが、20分〜25分ほど登った後の山頂では、最高の楽しみが待っていた。
まず、展望台から京都市を一望できる絶景を得られること。
そして、頂上の山小屋ではサルのエサ(リンゴ、サツマイモ、落花生)を売っていて、金網を張った窓からエサをあげることができる。
これには、息子は大喜びだった。
(嵐山モンキーパークの子供のサル)
その後、嵐山を見て廻った後で、京都駅へ。
かわいそうに、家内は風が悪くなり、声が出なくなってしまっていた。
息子も鼻水がひどい。
奈良でおみくじで大吉が出た二人が体調を崩し、凶が出た私がピンピンしているとは…。
もしかして、私の「凶」は家族の身に何がが起きるという警告だったのだろうか。
帰宅後にダウジングで伺ってみたところ、「これから起きることへの警告」と「断食をしなかったため」だということだった。
「これから起きること」は、やはり家族のことだったのだろうか。
東大寺で引いた凶のおみくじの文言にあった「病難盗難注意せよ」は、「家族の〜」だったのか。
私はいつも、おみくじを引く前に手を合わせるが、「良いおみくじが出ますように」などとは祈らない。
「今の自分に合ったおみくじをいただけますように」と祈るのだ。
おみくじは、吉凶で単純に良し悪しを判断してはいけないと思う。
江原さんも言っているように、そこに書かれた文言の方が重要なのだろう。
※himikoさん、いろいろと京都の貴重な情報をありがとうございました。