今日の朝日新聞夕刊からブログのネタを。
高松塚古墳の記事だ。
「飛鳥美人」
奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)の解体作業を進める文化庁は、「飛鳥美人」で知られる国宝壁画「女子群像」が描かれた西壁の取り外しに着手した。
飛鳥美人といえば、その壁画を見ると、扁平な顔立ちの北方モンゴロイドとは明らかに異なる。
鼻が高くて「コーカソイド(白人)的」とも言えるかもしれない。
はたして、西域から渡来した氏族の一員なのだろうか。
下記の写真をクリックしてリンクをたどっていくと(飛鳥美人の写真を何度かクリック)、『国宝 高松塚古墳壁画』という本の表紙写真にある「飛鳥美人」を大きな画像で見られる。
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埋葬されていた人物も西域の人か
朝日新聞は、高松塚古墳にあった漆塗り木棺(重要文化財)の復元品を、許可を得て撮影した。↓
http://www.asahi.com/culture/update/0510/OSK200705090089.html
この木棺は長さ199.5センチもあり、内側に人形のような跡が残っている。
発見時、被葬者の体は足や首の骨が少量残っていただけで、その説には異論もあるという。
だが、木棺の長さからして、かなり長身の人物の棺だったことが推測される。
猪熊兼勝・京都橘大教授(考古学)は「他に例のない丁寧なもので、被葬者は皇子クラスだと思う」と語っている。
篠原央憲著の『天皇家とユダヤ人』によると、大阪市大の島五郎教授がこの木棺に納められていた人骨を調査したところ、その推定身長は163センチだという。
縄文後期の日本人の平均身長が154.6センチで、弥生・古墳時代になると更に華奢な体になったというから、当時としてはかなりの大柄だったようだ。
この本によると、木棺の中央には直径10.8センチの唐草模様の入った透かし金具があり、その真中に「ヘロデ大王の紋」(古代イスラエルの王)が彫られているという。
ヘロデ紋とは、いわゆる天皇家の一六花弁菊花紋よりも中央の円が大きい紋だ。
このような紋は、本来は菊の花ではなく太陽を表したもので、古代メソポタミアの地でよく使われていた紋章だった。
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下記のブログでは、ヘロデ紋や皇室の菊花紋などの写真があるが、こうして並べられるとけっこうインパクトがある。
もっとも、これだけで「天皇は古代イスラエルから来た」とかいうのは、あまりにも短絡的だが。
菊花紋というか太陽紋は、古代オリエントでは王家の紋として広く使用されていたのだ。
- 天皇家の紋章(ヘロデ紋もあり)
http://diary.jp.aol.com/a4pcpx/242.html
藤原氏もアヤシイ?
今日の朝日新聞の夕刊1面で、「ご先祖さまは中臣鎌足」と題した記事が目に入った。
長年飛鳥地方の発掘調査をしてきた考古学者である猪熊兼勝・京都橘大教授の写真が大きく載っている。
この人は、44代前に遡る中臣鎌足(なかとみかまたり)の子孫だとある。
後に藤原氏が出たあの氏族だ。
猪熊教授の写真を見ると、やはり北方モンゴロイドとは思えない端正な顔立ちだ。
最近読んだ『シルクロード渡来人が建国した日本』(久慈力著)によると、「秦氏・蘇我氏・藤原氏は西域から来た」とあるが、どうなのだろうか。
シルクロード渡来人が建国した日本―秦氏、蘇我氏、藤原氏は西域から来た
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