南米ペルーで8月15日午後に発生した大地震で、最大の被災地イカ州では、治安の悪化が深刻になっているという。↓
- <ペルー地震>治安の悪化深刻 盗難警戒し男たち寝ずの番
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070818-00000033-mai-int
17日午前には、イカ市内の商店で商品の略奪が相次いで発生。
警官が空に向けて銃を威嚇発砲した。
ほとんどの商店が閉まっているため、物資を必要とする被災者が商品を盗み取ろうとするのだという。
「日本ならば、こうはならないだろうな」
そう思った。
大きな災害が起きたときほど、助け合いの精神が発揮される。
忘れかけていた何かが甦る。
「和を持って尊しと為す」
聖徳太子の言葉だ。
このニュースを読んで、想うこと。
「人が見ていないところなら、何でもやる」
信仰というものは、どこへ行ってしまったのか。
自然災害は、人の心も荒廃させてしまうものなのか。
「いつも誰かが見ている」
日本人ならば皆、心のどこかでそう思っているのではないか。
特定の信仰などなくても、そういう風に思える国民って、いいと思う。
相互扶助の精神。
インドネシアでは、「ゴトン・ロヨン(Gotong Royong)」という。
かの国で、日本人が失いかけているものを見たような気がした。
だが、完全には失われていないのが救いかもしれない。
そのインドネシアで働いていた1995年に、母国で大地震が起きたというニュースが入った。
困ったときに、手を差し伸べてくれる人がいることの有り難さ。
それを忘れなければ、人は何か大切な「学び」があるのではないか。
人間、困っているときほど、霊的成長のチャンスがある。
本当にそう思う。
悩みや苦しみ。
それは、人に「学び」を与える神の業。
それを喜ばなければならない。
そこから「気づき」を得なければならない。
自分にとっても、とても難しいことだけど、やってみたい。