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長崎聖地巡礼記(5)長崎市


この聖地巡礼記は書きかけです。
後日、全面的に加筆訂正して、『聖地巡礼ファイル』「長崎聖地巡礼(仮題)」として公開する予定です。


さきほど東京に帰ってきました。
飛行機の中などで書いた巡礼記の原稿を貼り付けておきます。
今回はかなりハードな巡礼で、色々な意味で危険も伴ったりして大変でしたが、なんとかやり終えて帰ってくることができました。
時には頭の中を引っ掻き回されるような目に遭ったり、市内を歩いていて落ち着かない気分になったりと、いろいろあったけれど、いまこうして平静な状態でいられるというのがウソみたいです。
それほど、長崎というのは、やっぱり大変なところです。
また近いうちに再度訪れることも、あるかもしれません。
明日からは普通どおりに仕事です。

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8:00すぎにホテルを出る。
路面電車で隣の松山町で降りる。
ここから、八幡神社へ向かう。
このへんでも、歩いていて、やはり精神的に落ち着かないものがある。
かつてはこの一帯も肉の山になったのかと、どうしてもイメージが膨らんでいってしまう。

八幡神社(若草町)

松山町駅から浦上川を渡り、西へ5分ほど歩いていくと、八幡神社があった。
おととい、ダウジングをやり直したところ、若草町のあたりが出た。
最後の巡礼地としてこの神社へ行かされる理由はなんだろう?
長崎聖地巡礼の締めくくりの地としては、ちょっと地味かなと思う。
ここは地形的にいうと、原爆の爆風をもろに受けただろうと思われる。
爆心地から500メートルほどの場所だ。


また、近くにある長崎市立城山小学校(旧城山尋常小学校)は、九州初のコンクリート3階建てというモダンな建物だった。
当時家庭にいた生徒1,400人あまりが亡くなり、この地区の生徒で助かったのは50人ほどしかいなかったという。


交差点の門に鳥居が立っている。
石段を上って境内に入ると、八幡神社の本殿の右隣に稲荷神社があり、横に並んでいる。
両方とも、小さな祠が立っているだけだ。


原爆慰霊の祈り。
地震沈静の祈り。
四川省地震の慰霊の祈り。
北京オリンピックの祈り。


祈っていて、眉間のアジナチャクラに集中し始めると涼しい風が吹いてくることが多い。
ここでも、そうだった。
いつも、こちらの祈りに答えてくれるようなタイミングで風が吹く。
たんなる偶然かどうかわからないが。


子供たちのことも、意識して祈る。
祈っているうちに、奥深いところへ入っていくような感じがしてきた。
10分ぐらい祈っているうちに、瞑想状態に入っていく。
最後に、八幡神さまに、歴史の真実をお示しくださいと祈る。


次に、となりの稲荷神社でも同様に祈る。
こちらでは、より深いところへ入っていくような感じがする。
自分が大きな光に包まれているように感じる。
半分トランスに入りかけている。
稲荷大神さまにも、歴史の真実をお示しくださいと祈る。


八幡神社も稲荷神社も、日本全国に数千・数万の分社がある人気の高い神様だ。
いずれも、本社の創建には泰氏が大きくかかわっている。
泰氏が祀った神々は、私見では、宇宙創造主につながる高位の神々ではないかと思っている。
いま、ここで祈り終えた際に得た印象でも、その感を強くしたものだった。
人によっては、八幡(やはだ)の神はイェフダつまり「イスラエルの神」で、稲荷大神はINRIつまりナザレのイエスだと説く。
それはともかくとして、この強力コンビが祀られた神社は、かなりのパワーがある。


祈り終えたあとも、しばらくボーっとしていた。
長崎最期の巡礼の地として来た理由も、なんとなくわかってきた。
神社というものは、その外見の立派さと、祀られている神の力の強さとは、あんまり関係ない。
この神社のように、小さな祠が立っているだけというところでも、土地のエネルギー、人々の信仰心、神々の力、自然の豊かさによって、力ある聖地となり得るのだ。


一礼して、石段を降りようとしたときだった。
前方の石段の中央に大きなトカゲがいて、私を見ると、サササッと左の草むらへと隠れてしまった。
神遣いだろう。
八幡神稲荷大神も龍神とは直接に結びつかないだろうと思うが、そういう神社でトカゲの神遣いが出現した。
いままでの考えを、多少改めなければならないかもしれない。

平和公園

来た道を戻って、松山町駅の前に来る。
地図を見ると、次の目的地である平和記念館へ行くには、原爆落下中心地か平和公園を通る。
どちらかで再度お祈りすべきかどうか、うしろの存在に聞いてみる。
10円玉を3枚取り出し、伺ってみる。
すると、平和公園へ行くようにとのこと。


平和祈念像の前で、祈る。
北村西望によって造られたもので、像の高さは9.7メートルあり、5000万円ほどの費用(1955年の貨幣価値で)がかかったという。
そのうち、台座作成のための費用2000万円は、長崎市の予算から賄われた。
この像が完成した当時は、被爆者に対する法律的援護はまったくなかった。
被爆による治療費は自分たちで全額負担しなければならなかったのだ。
このような平和のモニュメントも大切だろうが、もっと先にすべきことがあったのではないだろうか。

平和記念館

平和公園を出て、平和記念館へ向かう。
5分ほど歩いて、着いた。
ここは国立の施設で、広島にも同様のものがある。
平和祈念館は、国として、人々の尊い犠牲を銘記し追悼の意を表すとともに、永遠の平和を祈念するためのものだという。


原爆資料館と、平和記念館と、なぜ2つあるのだろうかと思っていた。
その違いが、やっとわかった。
平和記念館の方は、基本的に展示物などはない。
名簿が保管されていて、そこが追悼の念を捧げる空間となっているのだ。


入場無料の館内に入ると、まず資料室がある。
順路に沿って歩くと、追悼のための空間がある。
名簿は、何本か立っているガラス張りの塔の中にあるらしい。
前に立って、祈る。

東京へ

いちおうこれで、聖地巡礼の任務は終わった。
これで東京に帰らなければならないかと思うと、とても残念だ。
長崎という町が、すっかり好きになってしまった。
歴史と文化と信仰がある。
だが、そういうところでは、土地や民族のカルマもたくさんある。
長崎は、一度や二度の聖地巡礼で終わることができるところではないという感じがする。


5分ほど歩いて、ホテルへ戻る。
この長京ホテルは、楽天トラベルで安いところを見つけたが、大正解だった。
1泊4200円で、インターネットはLAN常時接続。
部屋はそこそこの広さ。
ただし窓の外は隣のビルしか見えない。
そんなことはあまり問題ではない。


何よりも、交通の便が良い。
路面電車の浜口町駅まで徒歩2〜3分。
長崎原爆資料館や原爆落下中心地まで徒歩5分ほど。
爆心地から500mほどの距離で、当時はここに肉の山ができただろうというところに泊まるのは、ちょっと勇気が要った。
だが、特に悪夢でうなされるようなことはなく(…と思うが)、なんとかなった。


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