今日(1/23(金))は仕事場の飲み会だった。
40代や50代の男性たちの会話に、まったく入って行けない自分を見つける。
いつものことだ。
自分よりも若い人たちが多いのに、同じ価値観を見出すことができない。
話しているうちにたどりつくのは、仕事の話かエロの話。
目指しているところが違うのだと言えばそれまでだが、そういう人たちの気持ちも理解できるようにならなければと思う。
初めての人もいたので、自己紹介をした。
神社仏閣を廻るのが好きで、今年の正月は諏訪大社、伊勢神宮、熱田大社を廻りました、と。
「伊勢神宮?」と驚かれた。
「何を好き好んで」と思われたのか。
それ以上のことは、もちろん言わない。
言っても理解してもらえるとは思えないし。
「ジンルイノレイテキシンカ」とか言っても、宇宙人と対話しているようなものかもしれない。
どんなに価値観が異なると思っても、
みんないつかはたどり着くところがある。
そう思って生きている。
いい会社に入っていい給料をもらう。
いい大学へ入るために、いい高校へ入って…………。
そういう人々に嫌気がさしたのは、中学2年生頃だったか。
それでも世界に対して諦めてはいけないと思った。
家に帰ったら、なぜかディランの『Forever Young』を聴きたくなった。
YouTubeでライブ映像を見つけ、聴き入った。
神が君をいつでも祝福し、護ってくれますように。
君がいつまでも若くありますように。
Forever Young。
1973年にBob Dylanが作詞作曲した歌だ。
ジョーン・バエズのカバーも好きだ。
いつまでも、若くありたい。
容姿ではなく、心の持ち方のことだ。
若かった頃の純粋な気持ちはどこへ行ったのかと思うことがある。
偽りにまみれた世間に染まりたくない。
正しいことは正しい。
間違っていることは間違っている。
そう言える自分を持ち続けたい。
そう思って生きてきて、52年過ぎた。
心と体の両方を若く保つ。
ヴィシュダチャクラがある程度動いている人は、実際の年齢よりもずっと若く見える場合が多い。
若くあり続ける秘訣があるとしたら、性エネルギーを浪費しないということも、大きな一つだろう。
天才や偉人たちは、そうして性エネルギーを創造エネルギーに換えて大きな仕事を為した。
Forever Young.
幼子のようでありなさい。
ギターを弾き説教するディランは、そう説かれるイエスさまのようでもあった。
イエスさまもユダヤ人だったが、ディランもユダヤ系の移民の子だった。
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」(マタイ18:3)
その後にディランは、イエスの教えを広める伝道師的になっていく。
65歳を過ぎた今でも、「Forever Young」を実践するかのように。